【4位】
ディープインパクトがランキング上位から去り、戦国時代に突入した
JRA種牡馬リーディングは後継
キズナが初戴冠。22、23年の4位から大きく躍進した。前年比55勝増の最多189勝を挙げ、重賞も15勝と前年の4勝から爆発的に増加。計42億5123万5000円を稼ぎ出し、
ロードカナロアを退けた。ハイレベルな3歳世代が
ジャスティンミラノ(
皐月賞、
共同通信杯)を筆頭に重賞8勝の荒稼ぎ。2歳世代からも重賞ウイナーが既に3頭出ており、来年以降も
トップランナーとしてリーディングをけん引する存在となりそうだ。
【5位】4月6日、阪神7Rに騎乗していた藤岡康太騎手は、3コーナーで落馬。病院に搬送されたが、意識を回復することなく息を引き取った。35歳だった。15日、栗東トレーニングセンター厚生会館本館体育館で葬儀が営まれた。
JRA通算803勝、同重賞22勝、G1・2勝。23年
マイルCSではムーアからの乗り替わりで
ナミュールを勝利に導き14年ぶりのG1制覇を飾った。騎乗技術、勝負強さを兼ね備えたジョッキーであり、温厚な人柄は多くの人から愛された。
【6位】ルメールが2年連続7度目のリーディングを獲得。
JRA賞の3部門(勝利数、勝率、獲得賞金)を総なめし、18年以来2度目の騎手大賞受賞となった。今年は3月30日に
ドバイターフで落馬負傷。5月5日に復帰するまで1カ月以上休養を要したが、次位の川田に35勝差の年間176勝(うち重賞12勝)を挙げる“圧勝”。本人も「
イクイノックスがいなくて寂しかった」と振り返るように軸を失った1年だったが、
オークス&
秋華賞(
チェルヴィニア)、
菊花賞(
アーバンシック)のG1・3勝はさすが。「今年はよく頑張れた」と自画自賛だった。
【7位】熾烈(しれつ)な
JRA調教師リーディング争いは28日の最終日までもつれ込んだ。全レース終了時で
矢作芳人師(63)と
須貝尚介師(58)が55勝で並んだが矢作師が2着数で上回り、2年ぶり5度目のリーディングを獲得した。
ジャパンCウイークから5週連続で2勝以上を積み重ねた。1勝差で迎えた最終日は追いかける須貝師が先に2勝を加算。いったんは勝利数で上回られたが中山10Rを制し、首位を守り切った。中央、地方、海外を含め、節目の通算1000勝まで残り44勝。世界のYAHAGIから25年も目が離せない。
【8位】騎手人生の第3章。04年に
JRAに移籍した
小牧太(57)が8月1日付で
地方競馬の騎手免許を再取得し、20年ぶりに古巣の兵庫県競馬に復帰した。近年、中央では騎乗数が減少。史上初の再移籍に踏み切った。
JRA所属として最後の騎乗になった7月21日の小倉12Rは12番人気
モズアカボスで制し、最高の形で締めくくった。
JRA通算911勝、重賞34勝。9月19日に行われた通算2000勝以上の騎手による招待競走「
ゴールデンジョッキーC」は3位(優勝は
武豊)、10月18日の兵庫ゴールドCで復帰後初の重賞制覇を飾った。
【9位】10月10日発売の週刊文春が藤田菜七子騎手(当時)の通信機器不正使用を報道。
JRAが通信機器使用の有無を事情聴取をしたところ、他者との通信を認めた。11日からの一時騎乗停止処分を伝えられた際に引退の意思を伝え、
JRAが10日付で騎手免許取り消し願いを受け取った。16年3月にデビューし、19年カペラS(
コパノキッキング)を制して
JRA女性騎手による
JRA平地重賞初勝利。
JRA通算3897戦166勝をマークした。永野猛蔵騎手(当時)も引退するなど、若手騎手の通信機器不正使用が相次いで発覚した。
【10位】今年の
ジャパンCに欧州のビッグネームが集結。
ディープインパクト産駒でG1・6勝の
オーギュストロダン(8着)、今年の
キングジョージで
オーギュストロダンや、後の
凱旋門賞馬
ブルーストッキングを撃破し1着の
ゴリアット(6着)、23年独ダービー馬
ファンタスティックムーン(11着)など来日。豪華な顔ぶれが集まった裏には、22年に東京競馬場の馬場内に新設された新国際厩舎の影響がある。当場で検疫ができるようになり、輸送リスクが減少。海外馬の調整方法が劇的に整備された。今後も強豪参戦を期待したい。
スポニチ