タニノギムレット。言わずと知れた02年ダービー馬。そして、日本競馬史にさんぜんと輝く名牝
ウオッカの父である。この馬がいなければ、64年ぶりの牝馬によるダービー制覇のあの感動も、
天皇賞・秋での
ダイワスカーレットとのあの激闘も、この世に起こっていないということだ。
タニノギムレットさまさま、である。
その
タニノギムレットが初めて重賞を制したのが02年
シンザン記念だ。
前走、阪神の未勝利戦(芝1600メートル)で2着馬に7馬身差をつけて圧勝し、ファンの度肝を抜いていた
タニノギムレット。未勝利を勝ったばかりでも単勝2.2倍の1番人気に推された。
ただ、今思えば相手関係は楽ではなかった。のちに
共同通信杯、
毎日杯を連勝する
チアズシュタルク、
菊花賞で
ヒシミラクルの2着に食い込む
ファストタテヤマ、5歳時に
ダイヤモンドSを勝つ
ナムラサンクスなどがいた。
しかし、
武豊・
タニノギムレットのレースセンスは、それら強豪の一枚も二枚も上だった。
スタート。内外から行きたい馬たちがぐんぐんと先団に殺到した。2枠3番の
タニノギムレットも互角のスタートを切ったが、先行争いには興味なしとばかりに、スッと下げていく。そして、位置関係が固まったタイミングで内からササッとポジションを上げていった。
先行各馬にとっては息を入れたいタイミング。
タニノギムレットに警戒を払いたいが、そこまでの余裕はなかった。労せずインの3番手という最高のポジションを手に入れることができた。
直線を向く。当時の京都外回りにおける
ゴールデンルートともいえる、インへと飛び込んだ。背後から
ナリタブライアン産駒の
ウイングブライアンが迫ったところで、
タニノギムレットのエンジンに火がついた。
逃げた
アイアムツヨシをかわして先頭。そこで一瞬、フワッとしたが、
チアズシュタルクが外から襲いかかると
タニノギムレットはもうひと伸びした。半馬身差で先頭フィニッシュ。ゴール前では詰められたように見えたが、もう200メートルあっても、かわされることはなかっただろう。まだまだ
タニノギムレットには余裕があった。
「ハンドル操作は難しいが、レースを積めば解消していくでしょう。クラシック戦線をにぎわす馬ですよ」と
武豊は満足げ。ただ、「こんなに人気になるとはなあ…。能力はかなりありますけどね」と何度も首をひねった。その後にダービーを勝つ素材。この時はファンの見立てが正しかったと胸を張っていいのかもしれない。
松田国英師の言葉も滑らかだった。「まだ目いっぱいに仕上げていない段階で重賞を勝てたことは大きい。どうしてもダービーに出したい馬。これで(計画的に)厳しいトレーニングを積んでいけますよ」と不敵に笑った。
実は直前に、厩舎の看板馬
クロフネが引退しており、重苦しいムードを振り払う1勝でもあった。そして
タニノギムレットはこの後、
アーリントンC、
スプリングSを連勝。5月には
NHKマイルC(3着)からダービーという
クロフネと同じローテーションを歩み、
クロフネが果たせなかったダービー制覇を達成するのだ。
「短期間でビッグレースを使ってもケアさえしっかりすれば勝つことはできる」。この“マツクニ哲学”を
タニノギムレットが実証したからこそ、
キングカメハメハ(04年
NHKマイルC、ダービー)での成功があったのだ。
タニノギムレットが日本の競馬の歴史において果たした役割は、かなり大きかったといえる。
スポニチ