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【追憶の京成杯】07年サンツェッペリン 骨折明けの松岡正海が奇策!縁に導かれ斎藤誠師は初タイトル

スポニチ
  • 2025年01月15日(水) 06時45分
 「他に行く馬がいなければ行っちゃいますね」。馬場に入る前の地下道。当時22歳の松岡正海は、開業2年目の斎藤誠師に秘策を明かした。2人は前田禎厩舎で調教助手と所属騎手だった、いわば同じ釜の飯を食べた仲。気持ちは一致していた。

 ゲートが開くと、サッと飛び出して先手を奪ったサンツェッペリン。松岡は秘策を実行した。前走・ホープフルS(当時オープン)ではホッカイドウ競馬の五十嵐冬樹(現調教師)が騎乗し、4角8番手からメンバー中2位の決め手を駆使して2着まで来た馬だ。その馬がいきなり逃げたことで他馬の騎手には迷いが生じ、動くに動けなくなった。

 1000メートル通過は62秒3。スローに落とした。そこからが松岡のうまいところだ。残り3Fとなったところで11秒4と一気にギアアップ。先にスパートをかけてライバルの気力を奪い、最後は2馬身差、余裕十分に先頭でフィニッシュした。

 「今年は一から頑張ろうと思っていた。だから今回は負けられなかった」。髪を短く刈りそろえ、りりしい姿で松岡が語った。12月16日の中山で、他馬に足を蹴られ、右足を骨折。前走で五十嵐冬が騎乗したのは、そのためだった。鞍上に戻った以上は最高の結果を出す覚悟。さっぱりとした頭髪は、決意の表れだった。

 「松岡で勝ててうれしいですよ」。斎藤師はこれが初のタイトルだった。諸般の事情で急きょ開業が決まり、なかなか管理馬が集まらなかった。そんな時、貴重な戦力として入厩が決まったのがサンツェッペリン。実は加藤ステーブルでの育成中に松岡が調教をつけており、その縁で斎藤厩舎入りが決まったのだった。

 「牧場で乗った時からいい馬だった。現時点では何も注文がない。どこまで強くなるかな」とコメントした松岡。この後、スプリングS8着を挟み、皐月賞ではヴィクトリーの鼻差2着。15番人気で大魚を逸した松岡は悔しさのあまり、検量室前でヘルメットを叩きつけた。

 悔しさをバネにした松岡は同年、ヴィクトリアマイルを12番人気コイウタで制してG1初制覇。一躍、全国区の騎手へとのし上がっていく。

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