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首差に泣いたヤマニンゼファー 忘れられぬ92年スプリンターズS 完璧過ぎても勝てない競馬の奥深さ

デイリースポーツ
  • 2025年09月23日(火) 06時00分
 92年12月10日。第26回スプリンターズS。この頃は寒さが身に染みる12月に開催されており、当時、ホッカイドウ競馬の記者をしていた私は、シーズンオフとともに東京本社へ出張していた。

 人生、誰しも“初めての○○”があるもので、私にとってあの日が初めての中山競馬場だった。お目当ては熱狂的ファンだった田中勝春騎手騎乗のヤマニンゼファー。同年5月の安田記念の覇者で、11番人気での勝利に大興奮。フライング気味に右手を高く上げたド派手なガッツポーズは、私のためにしてくれたものだと勘違いしたほどだ。

 安田記念Vでマイル王の座を射止めたゼファーだったが、秋の段階ではまだフロック視されていて、強さが本物かどうかを試されているような風潮があった。実際、秋初戦のセントウルSは2番人気で2着。続くマイルCSも3番人気で5着と連敗し、3戦目のスプリンターズSは4番人気に評価を下げていた。

 そんな苦しい状況だからこそ、ファンとしては現場へ出向いて熱く応援しなければならない。そう先輩に告げると「せっかく北海道から来たのだから、記者席で見ればいい」と誘ってくれたのだが、仕事の邪魔はしたくないのでひっそりとスタンドで観戦することにした。場所はゴール板の真ん前。念を送るように勝負の時を待つと、おなじみのファンファーレとともにスタンドが揺れた。

 ゲートが開くと1枠2番から好位4番手へ。抜群の手応えで直線へ向くと、ラスト1Fでは後続を一気に突き放した。明らかなセーフティーリードに、私は心の中で「どうだ!これがゼファーだ!」と誇らしく叫んだ。ゴール前で勝利を確信。すると…馬場の大外から何か黒い物体が飛んできたように見えた。

 あの日から早33年-。その後、縁あって中央競馬で働くことになった私は、長く務めた栗東を離れ、3年前に美浦へ籍を移した。競馬記者冥利に尽きるが、ありがたいことに、今ではわが青春の田中勝春調教師と親しくしていただいている。先日、コソッと聞いてみた。「あのスプリンターズS、完璧に乗られてましたよね」。すると、勝春さんは一瞬にして勝負師の顔に戻ってこう答えた。「あれは完璧というか…完璧過ぎたな」。

 難しい表現。言葉の真意を聞くと「競馬がスムーズ過ぎた。前に壁があったらまた結果は違っていたかもしれないけれど…まあ、そこが競馬の難しさだね」。ちなみに、私には鼻の皮一枚ぐらいの差に思えたゴールは、調べ直すと首差だった。 「ゴールの瞬間?内外離れていたけど、すぐに負けたと思ったよ。今思うのは、フタを開けてみたらニシノフラワーが強かったということ。強い馬はどんな条件で走っても強いのさ」

 勝ったニシノフラワーは当時、京都芝2400メートルで行われていたエリザベス女王杯(3着)から中5週でスプリンターズSに参戦。今では考えられないローテだが、一気の距離短縮に順応し、豪快な大外一気を決めたのだから大したものだ。

 記憶は全くないのだが、あの日の青年は恐らく船橋法典までの暗い道のりをしょぼくれて帰ったことでしょう。でも、今となってはいい思い出。心の底から一喜一憂できるのが競馬の醍醐味だ。G1に昇格した90年(バンブーメモリー)から今年で35年を迎える“電撃の6F戦”。多くのファンの記憶に残る熱戦を期待したい。(デイリースポーツ・松浦孝司)

提供:デイリースポーツ

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