重賞ウイナーからファンに愛されたあの馬まで、競馬から退いた後の知られざるエピソードをご紹介。
佐々木祥恵
(前回のつづき)本当はミホノブルボンのファンだった昼下がり、キョウエイボーガンと仲良しのルージュが馬場へと放たれた。しかし走り出すわけでもなく、2頭はのんびりと柔らかな日の光を浴び...
引っ掛かって引っ掛かって…とにかく必死に乗っていた第76回菊花賞が終わった。キタサンブラックが優勝し、オーナーの北島三郎さんが公言通りに「祭り」を歌い上げ、レース後も大いに盛り上が...
(前回のつづき)帝王賞馬マキバスナイパー、今年20歳に仲山トレーニングセンターの佐藤徳(いさお)さんが初めて馬に乗ったのは小学生の時だった。「知り合いの家が競走馬の育成をやっていて...
メジロマイヤー、ヤンチャすぎて包帯姿に今年3月1日に全線が開通した常磐自動車道を通って、福島県南相馬市に向かったのは9月半ばだった。福島県に入ると、所々に放射線量を示す電光掲示板が...
(前回のつづき)「三つ子の魂百まで」未完のまま競走生活を終えたサクラスーパーオーは、乗馬として第二の馬生を送ってきた。JRAの馬事公苑から大学の馬術部を経て、現在過ごす新潟県三条市...
見事に白くなった馬体日本全国津々浦々の競馬場を巡ってみたい。その夢を果たせないまま、多くの地方競馬場が業績悪化のために廃止の道を辿っていった。そのうちの1つが新潟県三条市にある三条...
(前回のつづき)観光客にも近寄っていくくらい人間が大好き東京の乗馬クラブで出会った愛馬コロスケが蹄葉炎を発症し、村石由美恵さんはコロスケの体を考えて長野の牧場へと馬を移動した。ある...
今年30歳、その瞳にはしっかりと力が宿っているコロスケという名のアングロアラブとその馬のオーナー村石由美恵さんに最初に出会ったのは、昨年の12月6日。モナクカバキチの取材で、山梨県...
「名馬だけでなく活躍できなかった馬たちも生きていけるように」『引退馬の余生を考えよう』という企画展が、8月1日から新潟競馬場で開催されている(※9月6日の新潟開催最終日をもって終了...
育成牧場で大怪我をして、一時期は競走馬にはなれないといわれたアルファキュートかつてエリザベス女王杯(GI)へのステップの1つにサファイヤS(GIII)というレースがあった。施行時期...
2005年の朝日チャレンジC優勝馬のワンモアチャッター(セン15)は、茨城県北相馬郡利根町の風ライディングパークで、現在のオーナー・堀江由美さんに「チャー君」と呼ばれ、愛情をたっぷ...
競走馬時代は3厩舎を渡り歩いた引退した競走馬たちの余生の取材をするたびに強く感じるのは「馬は出会った人によって運命を左右される」ということだ。GIレースに優勝した馬でさえも、気がつ...
「相変わらずですね、現役時代も噛みついてきました」ハルウララの取材をするため、千葉県御宿町にあるマーサファームを訪問したのは、昨年9月だった。(前回の記事はこちら)「負け組の星」と...
競走馬時代のオーナーさんの愛情を受けて凱旋門賞馬サンサン、メイワキミコ、シーバードパーク、ウインザーノット、そして怪物ハイセイコーなど、明和牧場ゆかりの馬たちの思い出話に耳を傾け、...
(つづき)弥生賞の中山競馬場に12万3000人1972年に大井競馬場でデビューしたハイセイコーは、重賞の青雲賞を含めて6戦6勝という成績を引っ提げて、中央競馬に鳴り物入りで移籍した...
凱旋門賞馬サンサン、日本で過ごした日々私が競馬を見始めた1970年代後半、メイワキミコというスプリンターが走っていた。これが「メイワ」という名称を意識した最初だった。ほどなくして「...
地方移籍を経て、乗馬クラブへその日は朝から雨が降っていた。取材の約束をした正午過ぎには止んでくれることを祈りながら栃木県方面へと向かう。那須塩原市にある観光牧場、千本松牧場に足を踏...
(つづき)「馬とは思わない方が良いような気性」マヤノトップガンが余生を送る優駿メモリアルパークは、優駿スタリオンステーション(以下優駿SS)に隣接しており、オグリキャップの功績を讃...
被災者の胸に響いた宝塚記念熱烈なファンのリクエストもあって、6月半ば、昨シーズン一杯で種牡馬を引退したマヤノトップガンを訪ねて北海道へと飛んだ。「昨日まで寒いくらいだったのに」とい...
(つづき)アグリが鳴くと他の馬も鳴き出すんです美浦トレーニングセンターにほど近い育成牧場のムラセファームには、2006年の新潟2歳S(GIII)を制したゴールドアグリ(牡11)もシ...
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