古い競馬ファンなら、同一厩舎の2頭出しは人気薄を狙えという格言らしきものを知っています。よくこの手で馬券を楽しんでいる筈ですが、まさかクラシックレースでこうは考えたくないというのが本音で、見事、桜花賞は空振りに終りました。
サクセスビューティー、アローキャリーの2頭出しの山内調教師でさえ、レース中ずっと見ていたのは3番人気のサクセスビューティーの方で、直線抜け出してくる姿を見て初めてアローキャリーに気がついたというくらいですから、その勝利は、やはり意外であったということです。考えがそこまで及ばなくともそれは仕方がないことと納得するしかありません。
競馬の勝ち負けは、このように人の思惑を弄ぶもので、勝利の女神の心をつかむのはむずかしいものです。
こういうことを繰り返していると、レースの予想というのは何なのだろうと思いたくなります。
G1競走になると、その検討も緻密になって、過去のレース分析からひとつの理論を打ち立てなかなかの説得力を持ちます。その考える過程が、実は楽しみであって、それがそのまま結果に結びつくとは、多くの者が考えていません。それなのに、他の人の予想を聞いてみたくなるのです。
競馬検討の、不確かで曖昧ながらも、やはりそれを寄りどころにするという、なんとも不思議な存在を今また思い知らされます。
レースは生きものである、もうひとつのこの言葉を思い出します。何があるかわからない、様々な可能性に思いを馳せ、その中から何をチョイスするかなんですが、それは思いつきみたいなものです。どう考えても、普通の考え方では、今年の桜花賞のようなレースはつかめません。
そこで皐月賞、今度は、女神がどういう気分で勝敗を操ることになるのでしょうか。