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思い出の天皇賞と名門の終焉

  • 2011年04月29日(金) 12時00分
 名門メジロ牧場が、半世紀の歴史に幕を閉じることになった。大事な恩人を失ったような、深い悲しみ、寂しさがこみ上げてくる。

 メジロ牧場の馬が、血統が、生産ポリシーが、みんな好きだった。私にサラブレッドの血統の醍醐味と、奥深さを教えてくれたのがこのメジロ牧場である。私の競馬人生そのものだと言ってもいい。

 これまでメジロ牧場に取材に出向いた回数は、軽く20回は超えているだろう。メジロマックイーンの天皇賞父子3代制覇の偉業がかかった1991年の春は、1週間近くも密着取材をした。

 当時の私は、野球でいうなら2軍の球拾いか草むしりといったライターで、1軍入りのチャンスがなかなか巡ってこなかった。そこで賭けに出たのが「天皇賞父子3代制覇の可能性」という、『優駿』の天皇賞直前号の特集だった。

 勝ってからでは、まず私のところには仕事がこない。1軍の先輩ライターたちに取られてしまう。だから、勝つ前にやろうとしたのである。

「きみ、もし負けたら、どうするの? 一生恥をかくことになるよ」

 メジロ牧場に取材を申し出ると、そう言われたものである。だが、かりに負けても読者は満足してくれるはずだと思った。この血統には、それに値する波瀾万丈のドラマが山盛りだったからである。

 メジロマックイーンは私の期待を裏切ることなく、春の天皇賞をみごとに勝ってくれた。おかげで読者からは大変な反響で、以後、さまざまな出版社から原稿の依頼が舞い込むようになった。

 もし、あのとき負けていたら、いまごろ私はどこでどうしているだろう。私に大きな運をもたらしてくれたのが、この天皇賞父子3代制覇という血統ドラマをつくり出したメジロ牧場なのだ。

 あれから20年。思い出の春の天皇賞を目前にして、またひとつ、大切なものを失うことになってしまった。

血統評論家。月刊誌、週刊誌の記者を経てフリーに。著書「競馬の血統学〜サラブレッドの進化と限界」で1998年JRA馬事文化賞を受賞。「最強の血統学」、「競馬の血統学2〜母のちから」、「サラブレッド血統事典」など著書多数。

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