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ジャパンC

  • 2002年11月25日(月) 12時41分
 前半の1000m通過はマグナーテンの先導で60秒9。スローに近いペースで流れたが、そこから4ハロン連続して11秒台にペースアップし、道中の4ハロン46秒9。後半は58秒9に最後の1ハロン12秒4。非常にきびしい競馬だった。

 明暗を分けたのは一瞬の切れや爆発力ではなく、タフなレースの経験の有無と、一分のスキもない世界のトップジョッキーの絶妙なコース取りだった。

 勝ったファルブラヴはパワー優先の力馬にもみえ、さして速い脚はなかったが、2200mを2分12秒2(自身の上がり35秒6)。スタミナとスピードのバランスの中間時計で乗り切るにぴったりの中距離型だった。4コーナーまでずっとインをキープし、直線だけ少し外に出したデットーリ騎手のコース取りは、前日のイーグルカフェとまったく同じ。馬群にスキが生じれば、スッーと無理なく先行馬との間合いを詰めて行く。しかし、小回りコースは十分承知で、他馬の外に出して振られたりするロスを避けている。ペリエや武豊さえかすむほどだから、天才ジョッキーのここ一番での集中力は見事だった。

 2着のナカタニのサラファンもまったく同じコース取りで、インをこじあけてきた。決してアメリカの芝のトップホースでもないが、全能力を余すところなく出し切ったのはナカタニ騎手のウデ以外にない。右回りコースに対する適性を読んだ陣営の、巧みなステップレースの使い方が成功した。

 シンボリクリスエスはパドックからやや落ち着きを欠き、歩様が上ずっていた。スタートでは出遅れたが、こちらもいつのまにか好位へ無理なく進出。現時点での力はほぼ出し切っている。さすがはペリエ騎手だった。

 ジャングルポケットは出来ていたが、流れに乗り切れず下げざるを得なかったのが痛い。以下はほぼ能力通り。ナリタトップロードもこのデキで負けては敗因はない。

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1948年、長野県出身、早稲田大卒。1973年に日刊競馬に入社。UHFテレビ競馬中継解説者時代から、長年に渡って独自のスタンスと多様な角度からレースを推理し、競馬を語り続ける。netkeiba.com、競馬総合チャンネルでは、土曜メインレース展望(金曜18時)、日曜メインレース展望(土曜18時)、重賞レース回顧(月曜18時)の執筆を担当。

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