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なぜ馬券が売られるのか

  • 2011年11月19日(土) 12時00分
「ねえ、どうして競馬では馬券を売るの?」

 かつては同級生の女子、ほぼ30年ぶりに会った先日は、それぞれ女医、女性教師、女性管理職、大学卒業後一円も稼いだことのない優雅な主婦……などに変身していた女性たちが私を問い詰めるように言った。

「宗教上や政治的な理由でギャンブルが禁じられているアラブや中国とか一部の国以外では馬券が売られているから、そういうものなんでしょう」

 という私の答えに、彼女たちが納得した様子はまったくなかった。

「馬って目が綺麗だし、武豊みたいなスターもいて、いろいろなドラマもあるのに、なんでギャンブルにするの?」

「そうよ、入場料やスポンサーフィー、放映権料だけでどうにかすればいいのに」

「ダービー卿の意向だったの?」

 そのあたりはJRAに訊いてくれ、という言葉を呑み込んで、アルコールで目の据わった女たちに言葉を返した。

「まあ、イギリスのアスコットでもフランスのロンシャンでも馬券を売っているくらいだから、走っている馬を見たら金を賭けたくなるっていうことには、言葉や文化を超えた引きの強さがあるんじゃないかね」

 少しの間、沈黙が流れた。

「島田君は馬券買うの?」
「うん」
「当たる?」
「まあ、ときどき」

 収支の話はしたくなかったのだが、「なぜ馬券が売られるのか」という超難解なテーマで詰問されるよりはずっといい。

 深夜、ススキノの店を借り切って百人ほどが集まっていた。母校・札幌西高等学校の若い卒業生から70代や80代のOB、OGまで数百人が集まる年に一度の同窓パーティーの、私たちの学年は幹事期だった。その打ち上げが行われていたのである。

「島田君、どうして昔リーゼントにしていたの?」

 話がマズい方向に変わった。私は聞こえないふりをして、ウーロン茶のグラスを空にした(下戸なのです)。

「眉毛も細かったね」
「ま、まあ、そうだったかな」
「玉虫色のジャケット着てたよね」

 高校は私服だった。頼むから、もうそれ以上変なことを思い出さないでくれ。

「ねえ、どうして島田君はあんな格好をしていたの?」

 これまた難問である。猿が尻を掻くようなもので、なぜかと訊いても答えるわけがないし、やめろと言ってもやめない。若いやつの格好なんてそんなものだろう、と「伊集院静風」に答え、フェードアウトした。

 それにしても、なぜ競馬では馬券が売られているのだろうか。

 イギリスで18世紀末にブックメーカーが始めたのがおそらく起源だ。が、こうした「説」を確定させるには、それより前に「○○はなかった」という証拠を示さなければならない。司直の間でもよく言われるように、「○○があった」という証拠は提示できても、「なかった」という証拠を示すのはとても難しいのである。

 それに、いつどこで誰が始めたにせよ、ギャンブルが性質上、競馬にそぐわなければ馬券は自然に消滅していたはずだ。しかし、そうはならず、野球やサッカーのプロリーグない国でも競馬が行われていて、馬券が売られているのは厳然たる事実である。

 世界での起こりはともかく、日本の近代競馬における馬券の起源や、その後のあれこれは文献などで明らかになっている。

 簡単に言うと、1906(明治39)年12月に政府が民法で馬券を黙認し、その前からあった競馬会のほかにも全国各地に競馬会がつくられ、世は競馬ブームに沸いた。ところが、馬券に熱中しすぎて家を傾ける者が現れるなど社会問題になり、2年後、1908年10月には馬券の発売が政府によって禁じられた。

 馬券が売られなかった時代、競馬関係者は資金ぐりに苦しんだ。補助金が交付されても焼け石に水で、賞金を求めてロシアのウラジオストックに遠征するなどした。

「日本競馬の父」安田伊左衛門を中心に「馬券復活運動」がつづけられ、1923(大正12)年に競馬法が公布され、ふたたび馬券が売られるようになり、現在に至る。

 結局、馬券が売られない「暗黒時代」は14年ほどで幕をとじたわけだ。競馬ファンならわかるだろうが、競馬というのは、主催するにしても生産・育成するにしても莫大な金がかかる。というか、金をかけなければ競技の高い質を維持できなくなってしまう。

 競技の質を高め、さらに国家の財源のひとつとして社会的な存在意義を明らかにするために、馬券を売って、売上げの一部を国庫におさめる、という方法に落ちついたのである。

 こんなふうに、日本の競馬史をちょっとひもとけば、馬券がないとどうなるのか、なぜ馬券が必要なのかが見えてくる。それともうひとつ。よく「昔の人は立派だ」などと言われるが、どの時代にもバクチで身をほろぼすだらしのない人間がいた、ということもよくわかる。

 ギャンブルが悪いのではなく、遊び方にブレーキをかけられない人間が悪いのである。その証拠に、何十年もギャンブルを楽しんでいる人もいれば、馬券でクルマを買った人も私は何人か知っている(ついでに言うと、売った人も)。

 さらにもうひとつ。世の中がこれだけ大きく変わっているのだから、百年近く前に公布された競馬法を抜本的に変えなくてはならない、といった声も聞かれる。確かにそのとおりだと思う。が、人間の本質はそんなに変わっていないのだから、急ぐことはないという気も同時にしている。

 さて、今週のマイルチャンピオンシップでは、どんな馬券を買おうか。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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