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年末年始の「なぜ?」と「へえ」

  • 2012年01月07日(土) 12時00分
 今、札幌の実家でこの原稿を書いている。

 両親がともに要介護で、車椅子が必要な父は3年前から入院中、右手の動きと言葉に問題がある母はこの一軒家で独居状態なので、ちょくちょく帰省しては家のあれこれをしたり、役所や病院、介護施設関係の手続きなどをするようになった。

 暮れの東京大賞典が終わったらすぐ来ようかとも思っていたのだが、昨年早めに帰省したため見逃した箱根駅伝を沿道で観戦してから来ることに決めた。往路の1区でもあり復路の最終10区でもあるコースまで自宅兼事務所から徒歩3分で行けるので、毎年「読売新聞」か「スポーツ報知」の旗を振りながら応援している。

箱根駅伝
箱根駅伝最終10区を走る早稲田大学の市川宗一朗選手。

 1月3日、最終10区を早稲田大学のアンカー・市川宗一朗選手が走り抜けるとき、「ワセダーッ、頑張れ! イチカワー、行ったれーっ!!」と大声で叫んだので、帰省してからもしばらく喉が痛かった(実際には「イチカワー!」を5回ぐらい繰り返した)。

 その数分前、ブッちぎりでトップだった東洋大学の選手が来たとき、私は、この写真を撮ったのとは反対側の歩道から見ていた。

 そこには、後ろのチームとのタイム差などを書いたノートを沿道から選手に見せる役目をする、関東学連選抜に入っていた大学のジャージを着た学生たちがいた。

 このあたりは東京とはいえ下町なので、初対面の人に対する礼儀や適度な精神的距離感などまったく気にしないオッチャン、オバチャンがウヨウヨしている。その典型で、一見して父子だとわかるコンビがたびたびその学生たちに話しかけるものだから、無関係な私のほうがイライラしてそこを離れたのだが、学生たちは嫌な顔ひとつせず丁寧に応じながら作業をこなしていた。

 彼らは、スポーツの世界に身を投じてこそ体感できる緊張感やストレスで自らの心身を日々鍛えているからか、若いのにしっかりして、礼儀正しく、爽やかである。親からの仕送りを全部馬券に使って女の子に金をセビるやつなんてひとりもいなさそうで、それがちょっと寂しかった。

 誤解のないよう言っておくが、私は借金をしてまで馬券を買うことを推奨しているわけではけっしてない。ただ、これで美味いものを食ったり、彼女に素敵なプレゼントを買ってやることもできる金を1分半かそこらの未来予測に遣う背徳感を覚えながら知恵を絞って買い目を決め、ドキドキしながらレースを見る……ということを一度でも経験すればさまざまなものが見えてくる、と言いたいのだ。

 自分が遣った金はどこに流れて行くのか。どれだけ多くの人間たちがこの産業に関わっているのか。一頭の馬が成長していくプロセスはどのようなもので、どんな人間たちに支えられて競馬場で走るようになり、引退後はどこに行くのか……などと考えるようになり、「ギャンブル」としての一面だけが強調されがちな競馬の奥に広大な世界がひろがっていることがわかるはずだ。

 その広大な世界で強い影響力を持つ人馬を見つめつづけ、それなりにわかった気になればなるほど新たな「なぜ?」や「へえ」がどんどん出てくる。

 私が最近感じた「へえ」を示す写真を、次に紹介したい。去年のジャパンCのパドックを歩く、凱旋門賞を勝った牝馬デインドリームの写真である。

デインドリーム
2011年ジャパンCパドックのデインドリーム。

 ヴィクトワールピサを出走させていた角居勝彦調教師によると、パドックのなかから見ていた日本のホースマンは、デインドリームを曳く女性を見て、「彼女、ヒールを履いているぞ。踏まれたら痛そうだな」などと話していたという。

デインドリーム
デインドリームの脚元を見ると、
曳いている女性がヒールを履いていることがわかる。

 角居師が競馬サークルに入ったのはジャパンCの草創期で、当時の日本では、「走る馬は御すのが大変なほどうるさいものだ」という考え方が当たり前になっていた(今でもそうした考え方は残っているが)。

 ところが、初期のジャパンCでは、女性でも楽に曳けるほどおとなしい外国馬が、たいした強い調教もせぬまま出てきて、日本の強豪をあっさり負かしてしまった。

 それにカルチャーショックを受けた角居師のなかで、「初期のジャパンCで得たイメージを追いかける馬づくり」が大きなテーマになった。それをきわめてわかりやすい形で見せたくれたのが、デインドリームと、それを曳く女性のスタイルだった。

 つまり、このなんでもない写真のなかに、「世界のスミイ」とまで呼ばれるホースマンが目指すシーンをかいま見ることができる、とも言えるわけだ。

 これが私にとって、競馬関係では2011年最後の「へえ」だった。同年最後の「なぜ?」は、「なぜ、あれだけメンバーが揃った有馬記念で、売上げも入場人員も前年を下回ったのだろう」だった。メディアが盛り上げた以上に、ファンの間ではオルフェーヴルの一強ムードが強かったのだろうか。

 2012年最初の「へえ」はまだないが、「なぜ?」はある。「なぜ、金杯を、もっと多くの売上げと入場人員が見込める1月7日の土曜日にしなかったのだろう」ということだ。

 1月2日と3日に行われ、国民的行事となっている箱根駅伝を見るたびに思うのだが、三が日に正月競馬を開催してもいいのではないか。これは私個人の都合だが、箱根駅伝を沿道で見てから中山競馬場に向かっても、金杯に楽勝で間に合う。そのゴールデンコースが将来実現したら、私は10区の沿道で忙しそうにしている学生をつかまえ、馬券の講釈をタレるジジイになっていそうで、ちょっと怖くもあるのだが。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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