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秘話を少々

  • 2012年01月28日(土) 12時00分
 今週月曜日、1月23日に行われたJRA賞授賞式に、本稿での「公約」どおり、体重が今より20kg以上重い90数kgのときに買ったタキシードを着て出席した。

 その格好で最寄り駅まで歩いたらキャバクラの客引きと間違われそうなので、クルマで出かけた。

 会場となるホテルの駐車場で、私より少し早く到着していた田中剛調教師とご家族にお会いした。ご挨拶したとき、田中師も奥さまも、脚のほかに両腕が余裕で入る私のズボンのブカブカぶりには気づいていない様子だったのでホッとした。サスペンダーで吊り上げ、カマーバンドで締めてしまえば、体型が変わってもそれほど不自然には見えないのかもしれない。

 授賞式でのあれこれは、来週月曜日(1月30日)発売の「週刊競馬ブック」の隔週連載エッセイ「競馬ことのは」に書いたので、重複しないよう、ここでは簡単に触れるだけにしたい。

 案内された控室で、初対面のJRAの理事や選考委員などのお歴歴に、

「札幌のご両親の具合はどうですか?」

 と訊かれ、恐縮した。前述したブックのエッセイや本稿に、ともに70代半ばで「要介護認定2」の両親のことをちょくちょく書いているので、私が思っている以上に「介護ネタ」が浸透しているようだ。

 2009年1月から入院生活をつづけている父は、ここ1年ほどの間に主治医が驚くほど状態がよくなった。一時は自分の弟と長男(私)の区別がつかなくなるほど認知症が進み、ほぼ寝たきりで、おしめをつけっぱなしの「要介護認定4」だった(要介護認定は5が最も重い)のだが、今はシルバーカーを押して院内をスイスイ歩き、「なあ、会津若松の少し南の有名な宿場町はなんていったっけ?」と病院から私の携帯に電話してくるまでに回復した。

 私は札幌で馬事文化賞受賞の知らせを受けたので、翌日、それを報じたスポーツ新聞を買って行って父に見せた。しかし、父は、

 ――それがどうしたんだ?

 という顔をしていた。意味がわかっていないのかと思っていたら、その翌日、病棟の事務の女の子が、それまで見せたことのない、眩しいほどの笑顔で私を迎えてくれた。父に新聞を見せられ、今回の受賞を知ったのだという。

 ――なんだよ、親父、喜んでいたのか。

 考えてみれば、父は、私が子供のころから一度も褒めたことがない。そういう「親父らしさ」まで入院前に近づいてきた、ということなのか。

 さて、授賞式に話を戻したい。

 授賞式でも、その後別の会場で行われた立食パーティでも、『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』と同じ版元の「競馬王」のフォトグラファーが私に密着し、関係者と談笑しているところなどを撮ってくれた。来月発売の「競馬王」に掲載するリポートのためなのだが、それがもし2ページになったら、「特別寄稿」として、これまでどこにも書いたことのない、受賞作に関する裏話や秘話をドーンと書いてほしいと担当編集の岸端薫子さんに言われていた。が、結局、記事は1ページになり、秘話を披露するスペースが小さくなってしまった。

 せっかくだから、そこに書き切れなかったことを、ここに記したい。

 前田長吉元騎手は、戦時中の1943年、牝馬クリフジの手綱をとり、最年少の20歳3カ月でダービーを優勝した。

 そのクリフジの馬主・栗林友二氏(故人)がどんな人物だったか知りたいと思った私は、栗林運輸株式会社を訪ね、息子の栗林英雄氏と、孫の栗林佳生氏から話を聞いた。

 ライスシャワーのオーナーとして知られる栗林英雄氏は徹底的にメディアに出ないことでも知られており、メディアに関わる人間と差し向かいで話したのは、このとき訪ねた私が初めてだったという。最初は出版社を通じてコンタクトを試みたのだが、まったく接触することができなかったので、私は初めて自分が持っている「コネ」を使った。

 それは、私の岳父のコネだった。かつて大手ゼネコンの役員だった岳父は、UAEのアブダビ空港建設の責任者をつとめるなど、大きな仕事をしてきた人物だ。さらに横浜のロータリークラブで幹事や会長を歴任するなどしていたので、実業界の横のつながりがないか訊いてみた。栗林運輸、あるいはグループ企業に所属する誰でもいいから話を聞かせてくれる人はいないだろうか、と。すると驚いたことに翌日電話をくれて、「馬に関することならこの人に訊くのが最良で、いつでも連絡していいようだ」と栗林英雄氏の連絡先を教えてくれたのだ。

 岳父は海軍兵学校の最後の期で、そこから多くの人材が政財界に輩出している(JRAの理事だった人もいる)。そのひとりに今も岳父と仲のいい、Iさんという昔からの競馬ファンがいる。私はIさんのプロフィールを知らず、ただ「岳父の親友の競馬ファン」だからと、自著や、海外取材で入手したレーシングプログラムなどを10年以上前から、岳父を通じてIさんにプレゼントしつづけていた。

 なんとIさんは、横浜に本社がある大手運輸会社の2代前の社長だった。すぐに現社長に電話して「知人が栗林氏に会いたがっているから橋渡しをしてやってくれ」と言ってくれたおかげで、私は栗林氏に会うことができたのである。

 そのとき栗林運輸の社史をお借りし、それにも目を通してから原稿を書いた。

『消えた天才騎手』の文中で栗林友二氏に関する記述はあまり多くないが、そうして裏をとったものだということを、読者のみなさんに理解してもらえると、余計に嬉しい。

 ……といった「裏話」や「秘話」は、ちょっと押しつけがましくなったり、自慢っぽくなってしまうので、このあたりでやめておきたい。

 私が自慢したいのは、「前田長吉という素晴らしい騎手が、私が大好きな競馬の世界にいた」という事実である。読者のみなさんも私と一緒に、競馬を知っている人に対しても知らない人に対しても、ぜひ自慢してほしいと思う。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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