トウケイニセイが死んだ。
種牡馬引退後は、馬主の小野寺喜久男さんが飼養費を負担して余生を過ごしていたが、その小野寺さんが経営していた病院が東日本大震災で被災。ご自身の年齢のこともあり、病院の再開を断念したことで、トウケイニセイの飼養も困難となってしまった。しかし現役時にトウケイニセイにかかわってきた有志が「トウケイニセイ基金」を立ち上げ、寄付を募る形でトウケイニセイのその後を引き継いでいた。
報道によると、前日の夜までは元気だったものの、6日の朝に馬房の中で息を引き取っていたと。
震災から1年を前にしての死は残念だが、歴史に残る活躍馬とはいえ、それは地方での実績だけに、25歳まで生きられたのはむしろ幸せだったのではないかと思う。
トウケイニセイはさまざまにケタ外れな馬だった。好敵手モリユウプリンスの存在が、その強さをいっそう際立たせた。
ライブリマウントとの対決で注目された南部杯のときなどは、新幹線で遠方からもファンが押し寄せ、昼ごろには専門紙が売り切れてしまったことなども懐かしく思い出される。ネットでの中継などはもちろんない時代で、テレビ中継もなく、レースを見ようと思えば競馬場か、もしくは岩手の専用場外に足を運ぶしかなかった。そういう時代だからこそ、最強馬同士の対決がむしろ盛り上がったんだと思う。
3.11で被災した水沢競馬場は、当初は開催のメドが立たなかったものの、関係者の努力により12月に競馬を再開。シーズン最終日となった1月9日には、例年どおり重賞のトウケイニセイ記念が行われた。
実はそのトウケイニセイ記念当日、震災復興の象徴としてトウケイニセイを水沢競馬場に呼ぼうということが一部有志で企画されたものの、昨年9月にすでに盛岡競馬場でお披露目されていたことや、主催者側で別のイベントが企画されていたことなどがあり、実現には至らなかった。
終わってしまったことを言っても仕方ないのだが、大変な年だったからからこそ、トウケイニセイを競馬場に呼んで盛り上げることはできなかっただろうかと思うと、残念でならない。もちろん、トウケイニセイ自身の体調次第ということもあっただろうが。
ぼくはトウケイニセイのレースを見るために、現役時代に何度か水沢や旧盛岡に足を運んだ。そして最後に間近でトウケイニセイを見たのは、たしか引退翌年(96年)に種牡馬として日高軽種馬農協門別種馬場(当時)に繋養されているときだったと思う。だからぼくの記憶ではトウケイニセイは若いままだ。