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スマートファルコンに学んだこと

  • 2012年09月07日(金) 18時00分
 スマートファルコンの突然の引退には驚いた。とはいえゴルトブリッツのような残念なことではなく、すぐに社台スタリオンステーションでの種牡馬入りが決まったということにはホッとした。

 スマートファルコンについては、3歳時のジャパンダートダービー(2着)以降、ほとんどのレースを現地で取材する中で、驚かされたこと、また感心させられたことがたくさんあったので、ここでまとめておきたい。

 まずは何といっても、3歳8月の小倉・KBC杯に出走して以降、結果的に引退レースとなった今年のドバイワールドCまで、地方競馬のみでしか走ることがなかった。

 これまでにも、ブルーコンコルドやヴァーミンリアンのように、地方で行われるダートGI(以下、GはJpnも含む)を中心に使われる馬はいたが、それでもやはりダートのトップを争う馬だけに、ジャパンCダート、フェブラリーSという中央のGIには出走していた。

 スマートファルコンほどの活躍馬であれば、どこかの時点で中央のGIタイトルを狙ってみたくなるものだが、頑ななまでに中央への出走は避けられてきた。あとで触れるが、これについては現役後半になって、なるほど納得させられる面もあった。

 また、1400〜2400mという幅広い距離適性にも驚かされた。3歳秋に白山大賞典に出走したのは、その後のJBCクラシックを見据えてのことだが、実際に出走したのは1400mのJBCスプリントだった。これはヴァーミリアン、サクセスブロッケンをはじめとする実績馬が揃っているJBCクラシックでは除外になる可能性が高く、確実に出走できそうとの見方での選択が、JBCスプリントだった。結果的にバンブーエールの2着だったが、陣営は当時からスマートファルコンの幅広い距離適性を見出していたのだろう。

 しかしスマートファルコンは、その3歳時のJBCスプリント以降、しばらくGIの舞台からは遠ざかることとなった。GII、GIIIではほとんど無敵の快進撃だったにもかかわらず、頑ななまでにGIに出走してこないのはなぜ? と思った人も多かったに違いない。

 あらためてスマートファルコンが勝ったレースの取材記事を見なおして気づいたことがある。それは、「これほどの馬に巡り会えることはないので、とにかく大事につかっていきたい」ということを小崎調教師が繰り返し言っていたことだ。

 中央のGIに出走しなかったこと(もちろん3歳春の皐月賞は別)、地方においてもなかなかGIに出走しなかったことは、この“大事につかっていく"という言葉に集約される。

 地方のダートグレードは勝負になる有力馬が少なく、また流れも厳しくならないことから、中央の重賞より消耗が少ないと言われる。そうして大事に大事につかわれた結果として示したのが、一昨年のJBCクラシック制覇から始まる、GI・6勝を含むダートグレード9連勝の快進撃だったのではないだろうか。

 もうひとつ、小崎調教師で印象に残っているのは、GI初制覇となった5歳時のJBCクラシック(船橋)を勝ったあとだったと思うのだが(違うレースだったらすみません)、「10歳まで走らせたい」と言ったこと。このとき取り囲んだ記者たちは冗談だろうと思って一同笑いとなり、たしかにぼくもそう思った。

 しかし、大事に大事につかわれ、そのJBCクラシックに始まる連戦連勝を見ているうちに、「10歳まで」というのは冗談でもなんでもなく、本気でそれを考えていたのではないかと思えるようになってきた。

 残念ながら10歳まで現役を続けることはできなかったが、重賞19勝というJRA所属馬としての重賞最多勝記録は、大事につかうことを最優先に考えられた結果としての勲章ではないだろうか。

1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。

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