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ナカヤマフェスタ快挙!/2010年凱旋門賞観戦記

  • 2012年09月14日(金) 18時00分
2010年にnetkeiba.comの携帯版・競馬総合チャンネルに掲載された栗山求氏による『ナカヤマフェスタ・ヴィクトワールピサ凱旋門賞観戦記』をnetkeiba.comで完全復刻! ナカヤマフェスタ快挙の裏には、1999年の悔しさがあった・・・(取材・文:栗山求、写真:栗山求、村田利之)

下唇を噛みしめる蛯名騎手

下唇を噛みしめる蛯名騎手

 ロンシャン競馬場でレースを終えた馬は、いったんパドックへ戻り、そこから厩舎へ帰っていく。凱旋門賞を走り終えたナカヤマフェスタが本馬場とパドックを結ぶ通路に入ってきたとき、鞍上の蛯名正義騎手は顔を歪ませて一言「ああっ!」と叫び、下唇を噛みしめて天を仰いだ。いま終えたばかりのレースが彼にとってどんなものだったのか、その表情が雄弁に物語っていた。

 勝負が激しさを増すフォルスストレート。好位を追走していたダンカンが外に張り出して2頭を弾き飛ばすと、スタンドからどよめきとブーイングが起きた。直後を走るナカヤマフェスタは危うく難を逃れた。しかし次の瞬間、外のケープブランコが寄せてきて、ナカヤマフェスタは行き場をなくす。蛯名騎手が腰を落として手綱を引っ張る姿を見て、日本から訪れたファンが悲鳴を上げた。

 ほとんど万事休すといっていい致命的な不利。しかし、それを跳ね返し、勝ち馬ワークフォースとアタマ差の勝負に持ち込んだのだから、悔やんでも悔やみきれないアクシデントだった。

 99年に2着となったエルコンドルパサーは、今回と同じく二ノ宮調教師&蛯名騎手のコンビが手がけた。レース当夜の慰労会で当時30歳の蛯名騎手は号泣した。おそらく一生に一度のチャンスをモノにできなかった悔しさに胸がいっぱいになったのだろう。02年のマンハッタンカフェ(13着)を経て、三度目のチャレンジとなった今回も勝利にあと一歩届かずの2着。しかも大きな不利を受けて……。蛯名騎手の胸中にはどんな感情が去来したのだろうか。

ワークフォースとの壮絶な叩き合い

ワークフォースとの壮絶な叩き合い

 八割方フランス人で埋まったスタンドは、イギリス馬と日本馬の叩き合いとなったレースに盛り上がるポイントを見出せず沈黙したまま。日本人は2着の喜びよりも逃した大魚の大きさに沈痛な表情。イギリス人だけが喜んでいたが明らかに浮いていた。レース後はなんとも微妙な空気が漂っていた。

 凱旋門賞はヨーロッパ調教馬が圧倒的に強く、それ以外の地域から挑戦して勝った馬は1頭もいない。今回の2着は、77年のバルメリノ(ニュージーランド)、99年のエルコンドルパサー(日本)と並ぶ最高着順。アメリカは4着、オーストラリアは5着がベストで、南米勢は10着以内に入ったことがない。連対馬を2頭送り出した日本は世界的にも誇れるものだと思う。

 もう1頭の日本馬、ヴィクトワールピサも十分健闘といえる成績だった。過去、ヨーロッパ以外の馬は凱旋門賞に延べ28頭挑んでいるが、ヴィクトワールピサは上から数えて7番目の成績。トビが大きく、深いヨーロッパの芝の道悪に合っているタイプには見えなかったが、能力の高さによって克服した。今回のハードな経験は今後の競走生活に活きるはず。

 海外遠征で重要なのは、(1)馬の能力・適性、(2)スタッフの経験、(3)現地のコネクション。ナカヤマフェスタはすべてをそろえていた。エルコンドルパサーやディープインパクト(3位入線失格)に比べて、日本においては史上最強クラスとはいえないが、にもかかわらず2着と健闘したのはそれが理由だろう。

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