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『ディープインパクトがくれた特別な時間』/2006年凱旋門賞観戦記

  • 2012年09月21日(金) 10時00分
2006年、凱旋門賞に挑戦したディープインパクト。日本の至宝の参戦に日本中が沸き立ち、日本競馬の悲願が現実味を帯びてきた。しかし、待っていたのは予想だにしなかった結末。全てを見届けた島田明宏氏による書き下ろしコラムです。(文:島田明宏、写真:編集部)
 ディープインパクトの凱旋門賞参戦が正式に発表されたのは、本番の5カ月前、2006年5月8日のことだった。管理者であった池江泰郎がオーナーと協議した結果、宝塚記念を使い、そこから直行するというプランを発表したのである。

 それまでもディープが凱旋門賞に向かうのは既定路線のように言われていたが、イギリスのキングジョージVI&クイーンエリザベスSに向かう可能性もゼロではなかった。また、凱旋門賞に行くにしても現地で前哨戦を使うかどうかという点を含め、陣営が最終的な結論をくだした、というわけだ。

宝塚記念圧勝、世界制覇へ弾みを

宝塚記念圧勝、世界制覇へ弾みを

 参戦表明から10月1日のレース当日までの5カ月間は、ディープ自身や陣営にとってのみならず、私たちファンにとっても、それまで経験したことのない「特別な時間」となった。

 あれほど大きな期待感を持って、ある特定の日を待ったことなど、少なくとも私は一度もなかった。どのくらい特別だったのかーー。

 まず、夏のグランプリとして重みのある宝塚記念が、あの年に限っては、ディープの凱旋門賞への「壮行レース」となってしまった。「テストレース」と言ってもいい。稍重発表とはいえ、荒れて重くなった馬場をディープはいかにしてこなすか。その適性はロンシャンでも生かされるか。有馬記念、阪神大賞典、天皇賞・春とコースを1周半する競馬がつづき、これが久しぶりにコースを1周するだけのレースとなる。同じところを2度通ることのないロンシャン2400mに近い条件でスムーズに走ることができるか……など、「レースの見どころ」はすなわち「ディープの凱旋門賞制覇に向けたチェック項目」であった。

 7月上旬、馬主の金子真人と池江、そして主戦騎手の武豊という3名の「チーム・ディープ」のメンバーが2泊4日でフランス視察に出向き、ディープの滞在先などを決めてきた。

 8月9日、大勢の関係者や報道陣に見守られ、ディープは成田空港からフランスに向けて飛び立った。私も取材に行ったのだが、会見で輸送会社「JALカーゴ」のスタッフがディープを積んだホースストールについて、また過去の馬の輸送について説明したりと、すべてが異例だった。

 9月7日には武がシャンティーでディープの調教に騎乗し、宝塚記念以来74日ぶりに背中の感触を味わった。

 9月13日には、ロンシャン競馬場で追い切りを兼ねたスクーリングが行われ、日本人40人強、フランス人40人強(テレビカメラもスチールカメラも各10台以上)のプレスが取材に訪れた。スタンドに設けられた会見場の脇には、参加者にドリンクを提供する数名のウエイターが控えていた。一頭の外国馬の追い切りのためにこれだけの準備がなされるのは、誰に訊かなくても異例中の異例であることがわかる。

 武がシャンティーで騎乗し、本追い切りが行われたのは9月27日。この時点での出走予定馬は11頭。それが翌28日にはレース史上2番目に少ない8頭立てになると発表された。ディープの強さに恐れをなして出走をキャンセルする馬が続出したかにも思われた。

 本番1週間ほど前に現地入りしていた私は、日本から遠く離れたこの地でも、ディープ中心の時間が流れているのを感じていた。

6000人の日本人ファンが現地入り

6000人の日本人ファンが現地入り

「この時間がずっと終わらないでほしい」

 そう話した日本人プレスもいた。

 10月1日、第85回凱旋門賞当日。

 開門と同時に大勢の日本人ファンが「開門ダッシュ」で流れ込み、第1レースが始まる前には「日本のみなさん……」と来場を歓迎する日本語のアナウンスがあった。

 この日ロンシャン競馬場を訪れた日本人は6000人。一時は1.1倍にまではね上がったディープの単勝オッズは、最終的に1.5倍に落ちついた。もちろん1番人気である。

日本人用の投票用紙が配布されたり、日本語の案内窓口が特設されたりと、この日のロンシャン競馬場は、間違いなく「いつものロンシャン」ではなくなっていた。

馬場が硬くなるとすぐに水をまくフランスギャロが、この日はついに散水せずに凱旋門賞を迎えた。

凱旋門賞のパドックに登場したディープ

凱旋門賞のパドックに登場したディープ

ヨーロッパ調教馬以外は勝ったことがないこのレースをディープインパクトという特別な馬に勝たれても仕方がないーー。

私の思い違いかもしれないが、そうした覚悟というか諦めのようなムードがあったように感じられた。

凱旋門賞のゲートがあいた。

スローな流れのなか、ディープは押し出されるように先行した。

533mの直線入口、ディープは持ったままで内の2頭に並びかけ、先頭に立った。

ディープは抜け出しをはかるが、それまで見せてきた「飛ぶ」走りを披露することなく、デビュー以来初めて自分より後ろから来た馬にかわされて3位入線。その後、禁止薬物が検出されて失格という結果に終わった。

「特別な時間」は、予想外の、唐突な幕切れを迎えた。

 9月13日のスクーリングのあとディープが咳をしはじめたので21日から25日まで治療に使用した薬が、治療終了後も寝藁などを通じてディープの体内に入ってしまったようだ。

 要は、風邪をひいて体調が万全ではなかったので負けてしまったのだ。

 残念な結果ではあったがーー。

 あの「特別な時間」に身を置いたひとりとして、6年経った今なお、何物にもかえがたい幸福感が胸に残っている、ということを記しておきたい。(文中敬称略)

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