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上には上がいる

  • 2012年10月20日(土) 12時00分
 2か月ほど前、都内の自宅兼事務所から美浦トレセン取材に行く途中のことだった。いつも通っている常磐自動車道の柏付近が事故渋滞か何かで、スマホで交通情報を見るとまったく改善されそうにない様子だったので、東関東自動車道の成田で降りるルートに変えることにした。首都高の浦安を過ぎたあたりだっただろうか、私は3車線のうち真ん中の車線を走っていたのだが、右前方のクルマが落としたのか、乾電池にもドライバーにもプラグにも見える、とにかく細長い物体が、一度路面に落ちてポーンと大きく跳ね、ブーメランのようにクルクル回りながら私のクルマのフロントウインドウめがけて飛んできた。

 ――ああ、こんなのが当たったら、ウインドウは粉々になるんだろうな。

 その物体の動きが不思議とスローモーションに見え、そう思った。ミラーを見ると、周囲にほかのクルマが結構いたので急ハンドルを切るわけにもいかず、衝撃に備えた。すると、謎の物体は、私の頭の右上、フロントドア側のルーフに「ゴン」と鈍い音を立てて当たった。

 急いでいたのですぐには確認せず、トレセンに着いてから見てみると、親指ぐらいの大きさでへこみ、2センチほど引っかいたように塗装がはげていた。ボディがこれだけへこむということは、フロントウインドウに当たっていたらエラいことになっていたかもしれない。

 海底トンネルに入る前車線変更をしなければ……とか、ちょっとした「タラレバ」の違いでそこを通る時間が数秒ズレていたわけだが、それでも、この程度で済んでよかった、ラッキーだった、という気持ちのほうが大きかった。

 それを車両保険で直して、再度ピッカピカの状態で今月初めに美浦に行く途中、今度は常磐自動車道の柏のあたりで、前に大型トラックが割り込んできた次の瞬間、飛び石がふたつコンコンとフロントウインドウに当たった。

 そのときもトレセンに着いてから確かめると、小さな傷がふたつ、しっかり残っていた。

 南馬場側の小さいほうのスタンドでトイレを済まし、
 ――当たらなくてもいいのものは、よく当たるなあ。
 と思いながら指先でフロンドウインドウをこすっていると、BMWが停まって、「どうしたんですか?」と運転席から声をかけられた。大竹正博調教師だった。

「いや、さっき飛び石にやられて」
「買ったばかりですか」
「はい、今年の2月に」

 私が答えると、大竹師は自分のクルマを指さして身を乗り出した。

「ぼくも、これと同じクルマで走っていたとき、飛び石でガラスが割れたんですよ。その次はデッキブラシが飛んできて」
「あらら」
「そのあと、カバンが飛んできたこともありました。買ってから3か月ぐらいの間に次々といろいろなものが飛んできてはぶつかり、最後には対向車線にハミ出して転倒したバイクが飛んできて、クルマが炎上しました」
「……」
「不幸中の幸いで、バイクにノーヘルで乗っていたふたりは、足の骨折だけで済んだようです」
「はあ」

 大竹師の話を聞きながら、上には上がいるものだと、つくづく思った。

 先週の秋華賞で、勝つにはこれしかないという完璧なレースをしたヴィルシーナを競り落とし、史上4頭目の牝馬三冠馬となったジェンティルドンナの走りを見て、
 ――上には上がいるもんだなあ。
 と思い、ここに記した大竹師とのやりとりを思い出した。

 上には上、ということには二重の意味があり、ひとつは、このレースにおいて最上の競馬をしたヴィルシーナより上だった、ということ。もうひとつは、「ブエナビスタ級の馬になるかも」と言ったり書いたりしていたジェンティルドンナが、3歳時の実績面では、牝馬三冠を獲りそこねたブエナよりも上になった、ということだ。

 古馬になってから秋天やジャパンカップを圧勝したブエナ姐さんより、強烈度でも上を行く存在になれるか。ジェンティルドンナの今後が、ますます楽しみになった。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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