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ミスター競馬の裏話

  • 2012年11月17日(土) 12時00分
 先週の金曜日、本稿を編集部に送ったあと、都内のスタジオでグリーンチャンネル「日本競馬の夜明け」の「安田伊左衛門の決意」の回のMA(ナレーション録りなど)があった。

 ナレーションを読み上げる、ラジオNIKKEIアナウンサーの中野雷太さんや、彼にキューを出しながら映像や音楽などの最終チェックをする小山田励ディレクターにとっては緊張感のある作業だろうが、私にとっては、モノづくりの最終行程を眺めることのできる、とても楽しい時間である。もちろん、ナレーション原稿で「ん?」と思うところがあれば修正案を出したり、固有名詞や事実関係についてああだこうだ言うこともあるが、ゼロから何かを生み出す作業に比べたら何万倍も楽なので、繰り返しになるが、とにかく楽しい。また、レース実況でも、JRA賞の授賞式の司会でも噛むところを聞いたことのない中野さんが、「あ、もう1回やらせてくださーい」と言うところを聞くことができるなど、裏舞台ならではの面白さを味わえるのは役得という感じがする。

 翌日から札幌の生家に行き、2009年1月から入院中で、来月退院を目標にしている父の外泊練習(といっても宿泊先は自分の家なのだが)や、同じく入院中の母の主治医やソーシャルワーカー、ケアマネージャーとの面談をこなすなどした。

 東京に戻ってきたのが13日、火曜日の夜。翌水曜日、「日本競馬の夜明け」の「ミスター競馬・野平祐二」のロケで美浦トレセンに行き、田中清隆調教師と藤沢和雄調教師にインタビューした。野平氏の回は、ほかに岡部幸雄氏、野平氏の妻の嘉代子さん、娘婿でJRAお客様事業部長の増田知之氏、そして幼なじみだった元騎手・調教師の田村駿仁氏も登場する、豪華キャストである。

 木曜日は、月刊誌「優駿」の企画で対談の司会をしたあと、「日本競馬の夜明け」の「幻の女性騎手」と野平氏の回のMAに、数時間遅れてではあったが、立ち会った。

「日本競馬の夜明け」の企画が動き出したころは、私がこれまで取材してきた質と量からして、「前田長吉とクリフジ」の回がズバ抜けて面白くなり、そのほかは、材料集めに苦しむ回も出てくると思われた。それもあって、面白いものを最初に見せるという基本どおり、長吉の回をどアタマに持ってきて、前後編に分けてオンエアした。

 ところが、これは嬉しい誤算だったのだが、次の「名門・尾形藤吉厩舎」も「保田隆芳物語」も「二大牧場の春」も、やろうと思えば前後編に分けることもできたほど、充実した内容になった(実際は1回でオンエアした)。

 以前も書いたように、この春まで美浦トレセンに勤務していたグリーンチャンネルの後藤博英氏が厩舎関係者にものすごく太いパイプを持っていて、取材が予想以上にスムーズに進んだことが大きかった。また、その後藤氏の案内で、田村康仁厩舎で働く田中大雅調教助手(セントライトを管理した故・田中和一郎元調教師の孫)へのアポとりのため田村厩舎を訪ねたとき、横にいた田村師が、「田中和一郎先生のことなら、うちの親父に話を聞いてみるといいですよ」と田村駿仁氏に橋渡しをしてくれるなど、運にも、人の優しさにも恵まれた。

 前後編にできるほどものを30分に凝縮するとなると、当然、収録したのにオンエアさることなく終わる映像も出てくる。

「幻の女性騎手」のロケで、昭和の初めに騎手を目指した斉藤すみが、ときおり岩手に帰郷したとき訪ねたという相の沢牧野(あいのさわぼくや)に私も行ってみた。小岩井農場でのロケを済ませたあとだったので陽が傾き、冷たい風が吹きつけるなか、「騎手になりたくて福島や東京に行ったすみがここにいる、ということはつまり、夢半ばだったということです。彼女はどんな思いで、馬が草をはむ、この光景を眺めたのでしょうか」と、何度か噛んでNGを出しながらも撮り切った。が、そのシーンはオンエアされない。小山田ディレクターは、「スイマセーン、どうやっても入り切らなかったんです、ハハハ」と爽やかな笑顔を見せた。

「ミスター競馬・野平祐二」のロケでお会いした藤沢師によると、「師匠は、最初に話しはじめたことと結論が、いつのまにか変わっていたりするんですよ」と、「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋茂雄氏に通じるところもあったようだ。誰かが捨てたタバコが地面にあったら、黙ってそれを拾って灰皿に入れる……といったことを、ごく自然にやってのける、めちゃめちゃカッコいい人、それがミスター競馬・野平祐二氏だったという。

 最後に、もうひとつ、オンエアされないが面白いミスターのエピソードを。

 嘉代子夫人は、よく野平氏に「あまりミスターって言わないでください」と言っていたという。

 どういうことかなと、私が「野平先生が自分で自分のことを『ミスター』と呼んでいたわけではないですよね」と訊くと、夫人は首を振った。

「いえ、自分でもそう言っていたんです」

 野平祐二氏は、「ミスター競馬」の看板を背負っていることを強く自覚しながら、日本の競馬界の発展のために汗を流していたのだ。

「ミスター競馬・野平祐二」のオンエアは、11月26日、月曜日。その後何度か再放送されるので、競馬史の楽しさを、少しでも感じていただけると幸いである。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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