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地方と中央の騎手免許

  • 2013年03月01日(金) 18時00分
 まずは訂正から。前回の、ホッカイドウ競馬の開催・重賞日程に関するコラムで、グランシャリオ門別スプリント、サッポロクラシックカップが重賞に格上げになったと書きましが、これは間違いでした。新設重賞は、最終日に行われる2歳牝馬のブロッサムカップのみ。「平成25年度ホッカイドウ競馬重賞競走等日程」の表に、重賞と同列で上記2レースも表記されていたための勘違いでした。お詫びして訂正いたします。

 さて、このコラムが公開されるのが3月1日。昨日まで地方騎手だった戸崎圭太騎手が、今日からは晴れて中央の騎手になった。

 大井所属騎手として大井競馬場での最終騎乗となった2月22日の最終レース後にはセレモニーが行われ、また地方騎手として最後の騎乗となった28日の川崎競馬場でも「戸崎圭太騎手を送る会」が行われた。大井でのセレモニーはスカパー!での中継を通してしか見ていないし、川崎のこの日は取材で笠松にいたので現場の雰囲気はわからないのだが、引退だとか競馬を離れるというわけではなく、一般社会に例えればいわば“栄転”ということになるので、おそらく和やかで明るいセレモニーだったのだろうと想像する。

 しかしその間、大井でセレモニーが行われた翌日の23日(土)には地方騎手として中山競馬場での騎乗があり、第3レースでは中央の馬に騎乗して、同着ではあるものの“普通に”勝った。そして3月になれば、2日からは中央の騎手として“普通に”中央競馬で騎乗することになる。そしておそらくその後は、先輩の内田博幸騎手もそうしているように、戸崎騎手も交流レースがあるときは“普通に”中央の騎手として大井や南関東で騎乗し、さらにその機会には“普通に”青・胴赤星散らしの勝負服で地方の馬にも乗るのだろう。

 2月28日から3月1日を区切りに、本来は“普通”である立場がガラリと変わる。何かこれって違和感がないですかね。

 その違和感とは、3月1日になっても、人としての戸崎圭太は、なんら変わることがないということ。

 先ごろ引退した安藤勝己騎手が、地方騎手として初めて中央の試験に合格した時にはダブル免許のことが問題になった。地方側はダブル免許に関して静観していたが、中央側は地方の免許を返上しなければ中央の免許は認めないということだったと記憶している。当時は地方から中央への移籍自体が異例のことだったこともあり、安藤さんは迷わず地方の免許は返上。その後に続いた騎手たちも、これにならって同じ対応となっているはずだ。

 しかし現状では、地方でも中央でもリーディング争いをしている内田博幸騎手や岩田康誠騎手などが、もちろん馬の交流競走などがあることが前提でのことだが、かつての地方時代の自分の騎手服を着用して地方馬に騎乗することもめずらしくないのは、先にも書いたとおり。

 もはやダブル免許を認めないというのは、タテマエだけであって、実情には合わなくなってきている。中央の騎手でも、地方でももっと自由に乗りたいと思う騎手はいるはずだ。

 安藤勝己さんの移籍から10年が過ぎた。日本の騎手免許制度は、さらに前進があってもいいと思う。

1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。

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