中山芝1800mのレコードホルダーとして、今もサクラプレジデントの名は載っている。2004年2月の中山記念で樹立(1分44秒9)したものだ。
皐月賞はネオユニヴァースにアタマ差2着、朝日杯FSもエイシンチャンプにクビ差2着。GIにはあと一歩のところで手が届かなかったが、類まれなるスピードの持ち主であったことは、この9年経っても破られぬレコードが物語っている。
皐月賞では2番人気、ダービーも2番人気、菊花賞も3番人気。つねに高い支持を集めたサクラプレジデントだったが、ダービーは7着、菊花賞は9着に敗れ、ついに無冠に終わった。
その潜在能力の高さは誰もが認めるところで、古馬になっての飛躍が期待されたが、4歳秋に屈腱炎を発症。引退が決まり、5歳になった2005年から日高のレックスッスタッドで種牡馬入りした。
父は遺伝力の確かなサンデー。加えて母系は、サクラトウコウらの成功種牡馬を出している“種牡馬族”の名牝系。日高の救世主として期待され、4年連続で100頭を超す配合牝馬を集める人気ぶりだった。
ところが、いざ産駒がデビューすると、これが大誤算。同じ年に新種牡馬デビューしたネオユニヴァース、キングカメハメハの派手な活躍とは裏腹に、GIどころかGIIIにも縁がない。人気が急下降して、昨年の種付頭数は11頭にまで落ち込んでしまった。見捨てられる寸前だったと言っていい。
それがどうしたことだろう。3月の第1週目、サクラゴスペルがオーシャンSで産駒初のGIII勝ちを飾ると、第3週目にはサクラプレジールがフラワーCで、またもGIII勝ちを飾った。
2008年、初産駒が競馬場でデビューしてから今年2月まで、JRAの重賞勝ち馬を1頭も出していなかったのに、3月に入って立て続けに出したのだ。
東西を問わず、種牡馬は見捨てられる一歩手前になると、昔からよくこの手の狂い咲き劇を引き起こしている。それが血の生存本能というものなのかもしれない。