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【特別企画】藤岡佑介騎手の『私の恩人』(2)―GIでの乗り替わりが決断に

  • 2014年01月23日(木) 18時00分
藤岡佑介騎手

 なぜそういう状況に陥ってしまったか、今ならわかります。本当に贅沢な話ですが、勝ち星も毎年増え、チャンスのある馬が1日に何頭かいるのが当たり前という状況が何年も続きました。そんななかで、結果を出せなければ当然、その矛先がジョッキーに向けられることもある。その繰り返しのなかで、いつしか結果を出さなくてはというプレッシャーが積もり、気持ちの面で逃げるようになってしまった。当然、そういう精神状態は騎乗にも出ます。そんなジョッキー、乗せたいと思ってもらえるはずがありませんよね。

 2013年2月24日、JRAより藤岡のフランス遠征が決定したことが発表された。発表当時の遠征期間は、最低でも8カ月。2011年に結婚し、第一子が生まれたばかりでもあり、その決断に驚いた関係者も少なくなかった。

 具体的に、いつからということではなく、以前から“何かを変えなくては”という気持ちはありました。何をどう変えるのがベストかをずっと探ってはいたんですが、長期で海外へ行くという選択は、なかなか現実的には考えられませんでしたね。そんなとき、オールザットジャズのエリザベス女王杯直前の乗り替わりがあって…。手応えを感じていただけに、これはショックでした。この時期は、ほかにも危機感を覚える出来事が立て続けにあったのですが、結果的に、オールザットジャズの乗り替わりが大きな決断につながりました。

 奇しくも、オールザットジャズの新パートナーとして迎えられたのは、藤岡と同期の川田将雅だった。川田はデビュー当時から「一番仲がいいのは佑介、一番のライバルも佑介」と公言し、デビュー後数年は「つねに佑介を追いかけていた」と語っている。しばらくは、抜きつ抜かれつといった文字通りのライバル関係が続いたが、いつしかその差は大きなものになっていった。

 将雅とは、毎年のように接戦でしたね。将雅が先にGI(2008年皐月賞・キャプテントゥーレ)を勝ったときも、すぐに追いつけると思っていました。それが今や、とても“追いつける”なんて口にできないほど離されてしまって。ただ、今の将雅の状況は、彼がデビュー当時から一貫して目指してきたことで、その気持ちの強さが今につながっている。そういう気持ちの面で差が出てしまったことは、自分でもわかっています。そこは素直に見習いたいし、ここから巻き返して、もう一度同じ舞台に立ちたい。もっといえば、もう一度「佑介に追いつきたい」と言わせたいと思っています。それにしても、性格的にこれほど対照的な二人もいませんよね(笑)。それが本当におもしろい。そういうことも含めて、ホントに将雅が同期にいてくれてよかったと思っています。

 フランスへの長期遠征を決断した藤岡は、その決断自体がリセットになったのか、2013年は遠征前の最後の騎乗となった4月14日までに16勝をマークし、その時点で関西リーディング10位につける活躍を見せた。

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