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18年の絆、現役時代の担当厩務員と暮らすミヤギロドリゴ【動画有り】

  • 2014年05月20日(火) 18時00分
【お知らせ】
ミヤギロドリゴは、本コラムを公開した翌日の5/21(水)朝、疝痛のため急死しました。詳細は、5/26(月)にニュースで配信いたしました。→こちらから

第二のストーリー


◆名伯楽・保田隆芳師の最後の勝利

 福島県伊達郡桑折町、東北自動車道の国見インターチェンジを降りてわりとすぐ、幹線道路から奥まった所に、競走馬の育成を手掛ける「にぐらや牧場」はあった。その敷地は四方をたくさんの桃の木に囲まれていて、放牧地には馬が1頭ずつ放たれている。車の音や人の声ひとつ聞こえてこない、不思議な静けさに包まれていた。

 牧場の敷地に足を踏み入れて馬たちを見渡すと、厩舎を背に左手奥に栗毛の馬がいた。草を無心に食んでいる。

「あれがロドリゴですよ」

 放牧地に案内してくださったのは、斉藤美和子さん。彼女はかつて中央競馬の厩務員として勤務し、現役時代のミヤギロドリゴの担当だった。張りのある栗毛の馬体のミヤギロドリゴは、今年20歳。去勢はされてはいない。


 現在はブリーズアップセールに姿を変えたが、まだ抽選馬の制度が残っていた時代、ミヤギロドリゴは抽選馬として馬主に販売され、保田隆芳厩舎の管理馬となった。ここでロドリゴは、美和子さんの担当馬となる。

 彼女がロドリゴに最初に抱いた印象は「すごく大人しくて、モッサリしていて、調教だけガッと燃える馬」であった。

 だが「駈け抜ける姿を見た人が『この馬、走るから大事にしろよ』と言ってくれたこともありましたね」(美和子さん)というエピソードもあるように、競走馬としての素質の片鱗を見抜いていた人が、周囲にはちゃんといたようだ。

 デビューは1996年9月1日の函館競馬場での新馬戦。1番人気に支持されたが7着と敗れる。そこから勝てないままレースを重ね、明け4歳(旧馬齢表記)となった2月1日、デビューから10戦目にして未勝利を脱出。定年が迫っていた名騎手にして名伯楽の保田隆芳師に、調教師としての最後の勝利をもたらした。

◆東北の福島競馬場にもたらした歓喜

 保田師が定年して厩舎が解散後、ミヤギロドリゴは美和子さんとともに開業間もない高市圭二厩舎に移った。当時厩舎が解散の際には、厩務員と担当馬が一緒に移動するというのが慣例となっていたらしい。

 転厩後の3月8日の4歳500万下で、ロドリゴは2勝目を挙げた。これは高市厩舎の初勝利でもあった。

 初勝利までに時間を要した同馬だったが、通算67戦7勝と息の長い活躍を続けた。その中で美和子さんが一番思い出に残っているのが、4歳(旧馬齢表記)の春に出走した若葉S(4歳OP・芝2000m)だ。

「3着で大健闘ではあったのですが、2着なら皐月賞に出られたというのもあって、悔しかったですね。でもやはり走る馬だなと思いました」

 ダービー出走を賭けて青葉賞にも出走したが、こちらも7着と敗れ、とうとうクラシック出走は叶わなかったものの、その後は重賞で何度も好走し、2000年の天皇賞・秋(芝2000m・16着)や2002年の安田記念(1600m・16着)に出走し、GIの舞台も経験している。だがロドリゴが1番輝いたのは、やはり福島競馬場、そして2001年の福島記念(GIII・2000m・1着)の時だろう。

「馬主さんが宮城県の出身で、この馬も同じ東北の福島競馬場で走る機会が多かったですからね。福島記念に優勝した時には、馬主さんの親戚の方々や牧場からも応援にいらしていて、口取りの時には10人以上はいたでしょうかね。かなりの人数が写真に収まっていました(笑)。良い時に勝ってくれたと思いますね」(美和子さん)

 保田師の最後の勝利、高市厩舎の初勝利、たくさんの関係者が応援に駆け付けた福島記念で優勝と、メモリアルに縁のある馬でもあった。

 障害レース2戦も含めて10歳まで走り続けたロドリゴは、無事是名馬の代表のようにも思えるが、3、4歳時に1回ずつ膝を骨折し、さらには屈腱炎も患っていたという。

「馬主さんも諦めずにいてくれましたし、休養を挟みながら、様子を見ながら、レースに出走させていました」(美和子さん)

 ロドリゴの頑張りはもちろんのこと、彼を取り巻く周囲の人々の愛情が、長い現役生活を支えていたと言ってもいよいだろう。

第二のストーリー

◆競走馬を引退しても離れることはなく

 ロドリゴとともに充実した日々を送っていた美和子さんにも、転機が訪れる。装蹄師の斉藤忍さんと出会い、厩務員を退職して結婚。忍さんの実家・福島県のにぐらや牧場へと居を移したのだ。それはロドリゴが山田要一厩舎に転厩する前のことだった。

 一方、山田厩舎に転厩したロドリゴは、障害レースを2走した後に引退が決まる。

「その時に主人が牧場に引き取ろうかと言ってくれて、お義父さんも賛成してくれました。馬主さんにとっても、頑張ってくれて思い入れのある馬だったようですし、とても喜んでくれて、馬主さんの牧場から直接馬運車で運んできてくれたんですよ」
こうして、再びロドリゴと美和子さんの毎日が始まったのだった。

 取材中、カメラを向けようが、話かけようが、全くこちらの存在を無視したまま、ロドリゴはひたすら草を食み続けていた。「大人しくて、モッサリしていて」という美和子さんの最初の印象に、マイペースが大幅にプラスされて、今に至るという感じがした。

 ロドリゴが美和子さんと出会って、およそ18年の月日が流れた。ご主人よりも長い付き合いのせいか、特別ベタベタするわけではなく、お互いがそこにいるのが当然という雰囲気が、ロドリゴと美和子さんの周りには漂っていた。自然で空気のように存在し合っている…という感じだろうか。気負いのない関係って良いなと、ロドリゴのマイペース振りと美和子さんの淡々とした様子を眺めながら思った。

第二のストーリー

第二のストーリー

 取材当日(5月12日)、装蹄の仕事で出張していて不在だったご主人から、翌朝、電話を頂いた。

「担当していた厩務員と暮らしている馬は、滅多にないですからね。福島競馬場に、いつでもロドリゴと嫁をセットで貸し出しますよって言っているんですよ(笑)」、明るいご主人の笑い声に、こちらもつられた。そして「実現すると良いですね」と答えた。

 ロドリゴと美和子さんが福島競馬場に登場し、馬と人の幸せな形の1つを、ファンの方々にも知ってもらえる日が来ることを心から願いたい。

「20日ほど早かったら、桃の花が満開だったんですよ。桃の花が咲く頃に、また是非来てください」、ご主人の言葉が耳に残った。咲き誇る桃の花の香りに包まれるその季節に、マイペースに草を食むミヤギロドリゴにまた会いに行こう。来年に思いを馳せながら、電話を切った。

(取材・文・撮影:佐々木祥恵)


引退名馬 ミヤギロドリゴの頁
https://www.meiba.jp/horses/view/1994105487

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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