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【クラシックの源流をたどる】第一回オークス “神様の父”が愛した孝行娘

  • 2014年05月23日(金) 12時00分
鳴尾競馬場
ダービー以上の熱狂のなかで行われた、第一回オークス。勝ち馬アステリモアの所有者は大川慶次郎の父・義雄。その大川を魅了したアステリモアのオークスを、当時の記録と大川の述懐からひも解いていく。


◆牝馬ながらダービーに挑戦、3着と健闘

 ダービーに遅れること6年、日本競馬にオークスがやってきたのは1938年のことだ。舞台は鳴尾競馬場、距離は2700m。競走名は「阪神優駿牝馬」だった。ダービー同様イギリスを模範にしているのだが、開催が11月23日ということもあって、4歳(現3歳)の最強牝馬決定戦という意味合いが強かった。現オークスよりも、95年までのエリザベス女王杯の位置づけが近いかもしれない。

 ヒロインを演じるのは名門・尾形藤吉厩舎のアステリモアだ。父がシアンモア、母はアステリア。生産した土田農場は当時の二強である下総御料牧場・小岩井農場と比べれば規模の小さな牧場だったが、兄のフレーモアがダービー馬という血統背景、さらに艶のある黒鹿毛で見栄えのする馬格ということもあり、アステリモアは早くから注目されていた。

 牝馬ながら第7回ダービー(東京優駿競走)に挑戦すると、レコードで駆けたスゲヌマからクビ+2馬身差の3着と健闘。秋初戦は古馬相手に1番人気に応えての快勝で、優駿牝馬を前にして馬主の大川義雄は「必勝を期してスタートを見守っていた」という。大川は競馬評論家・大川慶次郎の父親である。

◆ダービー以上の売り上げがあった“第一回オークス”

 当日は快晴に恵まれ、六甲山を望む鳴尾競馬場のスタンドには初代オークス馬を見ようと、数多くのファンが詰めかけた。馬券の売り上げは

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