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【2冠をめぐる物語 第三章】天馬の栄光と蹉跌〜トウショウボーイ Part1

  • 2014年05月30日(金) 18時00分
76年皐月賞

▲76年皐月賞で一冠奪取、鞍上は池上昌弘

いまでも語り継がれるTTG物語――その一翼を確固たる存在感でつとめたトウショウボーイは、1976年の皐月賞を勝ち、日本ダービーでは1番人気に支持された。スピード豊かな走りから“天馬”とたたえられたボーイの、栄光と蹉跌の二冠を振り返る。
文=谷川善久


◆早くから期待されていたエリートホース

 パーフェクトな競走馬など、どこにもいない。例外的存在をあげるとするなら、それがトウショウボーイだった。

 トウショウボーイの父はテスコボーイ。イギリスで過ごした現役時はマイルG1の勝ち鞍がある程度で一流半といったところだったが、種牡馬として日本で大成功を収める。初年度産駒ランドプリンスが皐月賞を勝ち、3年目のキタノカチドキは皐月賞と菊花賞の二冠を制覇、4年目のテスコガビーは桜花賞とオークスをぶっちぎった。リーディングサイアーの座も獲得し、その血は間違いなく70年代の競馬を牽引するものとして認識されていた。

 トウショウボーイの母はアメリカ生まれのソシアルバターフライ。自身の競走成績は冴えなかったが、近親には米重賞勝ち馬のいる血筋だ。繁殖牝馬として日本へやって来ると、重賞3勝のトウショウピットやオークス2着のソシアルトウショウを出すなど産駒がコンスタントに活躍。後に孫の代からも続々と重賞ウィナーが誕生し、ソシアルバターフライ系と呼ばれる名牝系を作り上げることになる。

 そんな両親から生まれたトウショウボーイは、肩幅の広さを特色とする雄大な馬格を誇り、見た目としても立派。調教では古馬顔負けの好タイムを計時して、デビュー前の時点で早くも「活躍は確実。それどころか将来は種牡馬入りも」との期待を集めるほどだった。そして実際、走らせてみると

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