スマートフォン版へ

オオエライジン追悼コラム(1)『兵庫競馬史上初の無敗のダービー馬』

  • 2014年07月02日(水) 18時00分
オオエライジン追悼

▲帝王賞のパドックにて(撮影:高橋正和)

6/25の帝王賞で星になった兵庫のオオエライジン。記録以上に、私たちに記憶を残した馬だった。交流レースに出走する度、兵庫のファンはオオエライジンを誇りに思った。全国の地方競馬ファンがオオエライジンに注目した。6年間の生涯に詰まった彼の魅力とは一体なんだったのだろうか。オオエライジンのオーナー公認応援隊長・大恵(オオエ)陽子が、彼を偲び、ルーツを誕生から振り返っていきたい。(取材・文・写真:大恵陽子)

◆生まれた時はキリンだった

 2008年5月1日、オオエライジンは北海道・浦河の伏木田牧場で生を受けた。「遅生まれで、牧場にいた頃は体が小さくて硬いし、首は細くてキリンみたいでした。1勝できたらいい方かなと思っていました」と、伏木田修専務は懐かしそうに当時を振り返る。

 この世代から当歳の夜間放牧を導入した効果か、繁殖牝馬わずか10頭ほどにも関わらず、幼馴染にはJRAのオープンクラスで活躍するウォータールルドがいる。

 しかし、ライジンは、遅生まれなこともあり1歳のセールには間に合わず、2歳の北海道トレーニングセールで川根幸晴オーナーに落札された。2010年、兵庫の橋本忠男厩舎から2歳8月にデビューすると、デビュー戦を9馬身差で圧勝。年末には地元2歳のチャンピオンを決める園田ジュニアカップにも勝利した。

オオエライジン追悼

◆兵庫競馬初の無敗のダービー馬

 2011年。年が明けても、ライジンは無敗の連勝記録を積み重ね、兵庫ダービーへと駒を進めた。日本ダービーが日本のホースマンにとって憧れのレースであるように、兵庫ダービーもまた兵庫県競馬の関係者にとっては特別なレースである。

 しかし、それまでの道のりは平坦ではなかった。トウ骨骨膜炎の影響でレースに使えず、兵庫ダービーは3ヶ月ぶりの実戦で、ぶっつけ本番にならざるを得なかった。

 当時の主戦・木村健騎手は、兵庫リーディングに輝いたことがあるほか、前年にはショウリュウムーンでJRA重賞のチューリップ賞を制するなど、人気実力ともにトップの騎手だったが、この時はまだダービージョッキーにはなれていなかった。それはトップトレーナーである橋本忠男調教師も同じだった。

 久しぶりのレースということが懸念されたライジンは2番人気。1番人気は、この後もライバルとして戦い続けることとなるホクセツサンデーだった。向正面からスタートしたレースは、1周目ゴール板付近からライジンとホクセツサンデーが後続を引き離し、一騎打ちムードに。ほぼ1周続いた2頭の一騎打ちは、直線に入るとライジンが抜け出し7馬身離して圧勝した。

「オオエライジン、デビューから7連勝、無敗のダービー馬ゴールインッ」

 竹之上次男アナウンサーの実況とともに、兵庫県競馬で初めての無敗のダービー馬が誕生した。

続きはプレミアムサービス登録でご覧になれます。

登録済みの方はこちらからログイン

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

netkeiba豪華ライター陣による本格的読み物コーナー。“競馬”が映し出す真の世界に触れてください。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング