◆「豊さんに依頼がいくような馬は違うな」 日曜日のレース終わりから木曜日の夜までたっぷり遊んで、週末は競馬に全力投球。1、2年目は、遊びも競馬もとにかく一生懸命だった。一番一緒にいる時間が長かったのは古川だけど、12期生は本当に仲が良かったから、みんなで遊びに行くことも多かった。
ちなみに、和田は当時から宴会部長。盛り上げ役を買って出ては、大騒ぎしていたっけ。四位さんにも、美味しいお店によく連れて行ってもらったりして、とにかく毎日が楽しかった。ただ、それだけ遊びに夢中になりながらも、朝の調教に遅れたことは一度もない。ことさら威張っていうことではないが、そういうところはマジメというか、子供の頃から寝坊をしたり、サボったりすることが、どうしてもできない性格だった。
2年目の7月には、川崎のエンプレス杯で重賞初勝利を挙げることができた。騎乗したのは、白井厩舎のシルクフェニックス。この馬では、翌年のエンプレス杯も連覇した。ちなみに、夏の小倉の2歳オープン・フェニックス賞を、01年から騎乗機会8年連続連対中(6勝2着2回)で“フェニックス男”なんていわれているが、ふと気づけば、重賞初勝利もシルク“フェニックス”。フェニックスには、つくづく縁があるようだ。
2年目の9月のある日、お世話になっている坂口正大厩舎におじゃましているとき、厩舎に1本の連絡が入った。「豊が乗れなくなったらしい」。そのときの自分はたまたま遊びに行っていただけなのだが、そこに居合わせたことで、「お前、乗るか?」という話になった。それがキングヘイローである。