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161戦0勝、ハクホークイン

  • 2003年12月16日(火) 10時33分
 ちょうど今から10年前のことである。当時親しくしていた故・松本捷平氏(地方競馬に精通したライターで、その頃「週刊宝石」に籍を置いていた)から「俺忙しいから、悪いけど代わりに行って来てくれないか?」頼まれたのが、このハクホークインの取材だった。

 「競馬・最強の法則」で地方競馬ネタをずいぶん書いていた松本はこうしてよく日高の取材を私に依頼してきていた。最初に聞いた時、そのあまりの戦績に唖然としたのを覚えている。何と161戦0勝!

 確か1月のある寒い日だった。門別町の坂田牧場にいるというハクホークインを訪ねて、カメラを担いで出かけた。坂田牧場当主の康男さんにお話を伺った。

 ハクホークインは昭和59年、浦河の針生平吉さんの牧場で生まれた。父ハクホオショウ、母ランダムクイン。デビューは昭和61年10月の船橋競馬である。それから延々と7年間にわたり、南関4場を舞台に走り続けた。400キロそこそこの小柄な体だが、ほとんど休養したことがないほどのタフな馬で、足元も治療の跡や傷、骨瘤などのないきれいなままで引退したらしい。

 161戦を重ねて、2着8回、3着13回、4着17回、5着20回。獲得賞金は1725万8千円。いくつかの厩舎を転々として、浦和の富田藤男厩舎に移ったあたりから俄然出走回数が多くなる。昭和63年(当時の表記で明け5歳)には33戦、平成元年には32戦、平成2年には30戦、3年には39戦と驚くほどの出走回数を重ねている。

 そのあたりを当時、富田師は松本の取材に答えてこう言っている。「その馬なりにタフであって耐えられれば出走回数をどんどん増やしていって挑戦する。これが僕の競馬です。賞金以外に出走手当が競馬にはあります。ハクホークインの場合、賞金とほぼ同額か、少し多いぐらい稼いでいるんじゃないかなぁ。挑戦しながら赤字を出さない。」

 おそらくは、この馬が長い間曲がりなりにも「現役」で走り続けられた大きな原因は、ここにもあるのだろう。改めて時代背景を考えてみると、昭和61年から平成4年というのは見事に「バブル景気」と重なる。各地の地方競馬もそれまでの「円高不況」から脱して売り上げを右肩上がりで増やして行った時代だった。負け続けていながらも「赤字」にはならなかった「良き時代」だったのである。

 ハクホークインは、平成5年にスルーザドラゴンの牡馬を出産し、結局「初仔を生んだだけで用途変更され」(坂田さん)て、今はもういない。その初仔も、母と同じく浦和の富田厩舎に入り、「こっちは一つか二つ勝っている」そうである。競走名はハクホーキングだったらしい。

 坂田さんの記憶にあるハクホークインは「小柄の大人しい馬」で「扱いやすい繁殖牝馬だった」ものの「やはり、現役が長かったせいでなかなか受胎しにくい」馬だったという。

 さて周知のごとく、12月14日、高知競馬場は普段の3倍にも達する5000人のファンが集結し、ハルウララの100回目のレースを見守った。翌日の各紙は大きくこの馬のことを取り上げ、東京からは同馬応援のためのツアーまで組まれる騒ぎとなったとか。

 時代背景も競馬場も異なるので単純に比較してもあまり意味がないのかも知れないのだが、ハルウララが100戦を消化して獲得した賞金はハクホークインの1割にも満たない106万5千円。今後もレース出走だけで“自活”するのは無理だろうが、多くのファンに支えられながら、どうか1戦でも多く出走回数を重ねて、ハクホークインの記録に迫って欲しいと思う。

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岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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