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三条閉鎖と柳江調教師逝去

  • 2015年01月09日(金) 18時00分


 年明け最初にもかかわらず、少し寂しい話題から。大井競馬専用場外発売所として使用されている三条場外発売所、つまりかつての三条競馬場が、1月23日で馬券の発売を終了し、3月24日に払戻し業務を終了、廃止されるとのリリースがあった。

 新潟競馬場と三条競馬場で開催されていた新潟県競馬は、2002年1月4日限りで廃止。結果的に三条競馬場で競馬が行われたのは、2001年8月16日が最後だった。

 このたびの閉鎖は、施設の老朽化のためとのこと。三条競馬場のスタンドは、地方のローカルな競馬場としては立派なものだったが、たしかに競馬が行われていた晩年は、いかにも古びた感じだった。2000年ごろ、取材で同行したカメラマンが、地方競馬もかなり見ている人ではあったのだが、「こんなに古い競馬場が今どきあるのか」と驚いていたのを思い出した。たしかにその当時、平成も12年になっていたのだが、スタンド内を撮影した写真を見ると、「昭和の頃の競馬場」と言っても信じてしまうような雰囲気だった。

地方競馬に吠える


地方競馬に吠える

廃止直前、2002年1月2日に訪れた三条競馬場。この日の新潟競馬場での開催は雪で中止だった


 場外専用施設となった三条競馬場は、2004年の新潟豪雨の際には、廃棄物置き場としてコースだったところに瓦礫が山と積まれたこともあったし、その後2009年の新潟国体では馬術競技の会場として使用されたこともある。

 すでに廃止された競馬場ではあるものの、その形跡までなくなってしまうのかと思うと、ちょっと寂しい。

 もうひとつ。ニュースなどでご存じの方も多いと思うが、NARグランプリ・年度代表馬に2度選出(2009、2012年)されたラブミーチャンの柳江仁調教師が1月1日に亡くなられた。12月中旬に厩舎内で倒れているのが発見され、そのまま意識が戻らないままだった。

 発見された時には頭蓋骨を骨折していたそうで、厩舎内で馬が暴れるか何かして、どこかに頭を強打したらしい。蹄の跡はなかったので、馬に蹴られたとかではなかったようだ。ただその瞬間を見ていた人がいないので、実際に何が起きたのかはわからないままなのだそうだ。

 1月4日には岐阜市内で葬儀が行われ、多くの関係者に見送られた。

 柳江さんは1985年に厩舎を開業し、地方通算1667勝、中央1勝。重賞はラブミーチャンでの16勝を含め通算42勝。59歳でまだまだ元気だっただけに、残念でならない。ご冥福をお祈りします。

1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。

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