スマートフォン版へ

田中健騎手(4)『思い描いていた騎手人生とは違うけど、悪くはない』

  • 2015年03月30日(月) 12時00分
おじゃ馬します!

▲今の自分を客観的に見つめての本音を語る


今回が田中健騎手インタビューの最終回。広島出身の田中騎手が騎手になったきっかけとは。そして、競馬学校卒業時にはアイルランド大使特別賞を受賞し、騎手として順調なスタートを切るも、減量の有無で左右された成績。若手ゆえに苦悩した日々や、今のご自身を客観的に見つめての本音を語ります。(取材:赤見千尋)


入ったからには頑張らないと


赤見 田中騎手は広島のご出身なんですね。広島と言うと福山競馬場がありましたけど、競馬との出会いというのは?

田中 住んでいたのは宮島の近くで、競馬は身近にはなかったですね。それこそ、ゲーセンで競馬ゲームをするぐらい。動物はもともと好きだったのと、体格が小さかったのもあって、親父に「やってみたら」って言われたのがきっかけです。

赤見 お父様が競馬ファンだったんですか?

田中 いや、競馬ファンというわけでは…。ただ、のちのち聞いたんですけど、親父の妹の旦那さんの親戚が福山競馬のジョッキーだったとか。本当かどうかはわからないんですけど(苦笑)。

赤見 ちょっと怪しい情報(笑)。

田中 そうなんです。でも、ジョッキーという職業があることは知っていました。中学生の時に騎手学校の受験を勧められて、高校受験とも時期が違ったし、受けてみたという感じですね。ただ本当は、牧場で働きたかったんです。

赤見 そうだったんですか。

田中 はい。でも、まずは騎手試験を受けてみて、受かったら騎手に、ダメだったら牧場に行くにしても高校は進学しておけって。将来のことを考えて、親としては高校は出てほしかったんでしょうね。今考えたら、ちゃんと考えてくれてたんだなと思います。

赤見 馬に乗ったことはあったんですか?

田中 なかったんです。なので、合格が決まってから乗馬クラブに通ったんですけど、その程度の経験しかないまま学校に入ったものだから、最初はかなり大変でした。経験も浅ければ、乗馬クラブと騎手学校では話が違うじゃないですか。それはもう、大変でしたね。

赤見 ジョッキーはどうしてもなりたいという理想像ではなかった中で、その状況でなんで頑張れたんですか?

田中 なんでですかね(笑)? ひとつあったのは、体が小さかったので、何をやるにも同級生に負けてたんですよね。でも馬乗りは、体格は関係ないじゃないですか。自分ががんばった分だけうまくなれるし、それが実感できたのがうれしかったんです。

赤見 中学生って、体格の違いが出てくる頃ですもんね。

田中 そうなんですよね。体育の授業とか部活でも、体格のいい子に負けるんです。そういうのが悔しかったので、馬乗りでは頑張りたかった。だから、辛くても辞めるっていう選択肢はなかったですね。

赤見 相当な根性の持ち主ですね。

おじゃ馬します!

▲騎手学校での奮闘ぶりに、「相当な根性の持ち主ですね」


田中 根性があるかどうかは分からないですけど、負けたくないっていう気持ちでした。騎手学校で1年留年してるんです。それはケガもありましたし、技術的も足らないと言われて。留年しても1年ぐらいじゃ、そこまでうまくもならなかったですし、そういう自分がすごく悔しかったです。

赤見 15〜16歳の子が初めて味わう挫折というか。

田中 まあ、あの時期だったからよかったっていうのはあると思うんですけどね。だって、大学生とか社会人になってから規制された生活をするって、まず無理でしょうし。あの当時だったから、共同生活も修学旅行みたいで楽しめたと思います。

1頭1頭に心から「ありがとう」


赤見 最終的にはアイルランド大使特別賞を受賞。努力の賜物ですよね。デビューしてからも順調でしたし。

田中 最初はうまいこと良い馬に乗せてもらえてたので、それが大きかったです。でも、減量が切れてからは厳しくなりましたし、減量があった時でも、せっかくもらったチャンスを生かせないことが多かったので。

赤見 そこで勝ち切るか2着かで大きく違ったりして。

田中 全然違いますね。それはもう自分の実力不足で。それに、それからもうまく行くためには、存在感をアピールしないとダメだと思うんです。フェアプレー賞とかリーディングを獲ったり。実力も絶対必要ですけど、そういうのも重ならないとダメだなって思います。

赤見 今の時代、新人ジョッキーがずっと順調にいくというのは、なかなか厳しいですもんね。特に減量が取れると。

田中 そうですね。それでもやれることは、1頭1頭大事に乗って営業するしかないと思いますので。騎手は技術だけじゃやっていけない。営業能力とか人付き合いのうまさも大事だなって。

赤見 営業って具体的にはどういうことをしてるんですか?

田中 「乗せてください」って厩舎を回って。一番は、攻め馬を手伝わせてもらって、信頼していただいて、騎乗の機会につながったらということですね。

赤見 今はエージェントさんがいて、なかなかジョッキー自身で乗せてくださいっていうのも。

田中 厳しいですよね。そこで決まっちゃう部分はあるとは思うんですけど、地道に営業していれば、声を掛けてもらえることもあるので、これからもそこは続けていきたいです。

赤見 そのモチベーションはどうやって保ってるんですか? なんだよって思うこともあると思うんですけど。

田中 モチベーションはやっぱり、馬が好きだからっていうのが一番ですけど、現実はそれだけじゃ生きて行けないですからね。ジョッキーを辞めたいって思ったこともあります。全然勝てなかったり、土日にもトレセンで攻め馬に乗っていたり、そういうことが続くと、「ジョッキーやってる意味あるのかな」って。ローカルに遠征ってなっても、赤字になることもよくありましたしね。

赤見 えっ?

田中 交通費は自費なんです。だから1頭くらいしか騎乗馬がいないと、赤字になるんです。頼む方もそれを分かっているから「どうする?」って聞いてくれるんですけど、「それでもいいんで、乗せてください」って言ってました。そこで断っちゃうと、次は絶対に回って来ないと思うので。

赤見 そういう辛い時期を過ごしてきて。

田中 そういう時期は長かったですね。でも、落ち込んでいても何も変わらないですからね。自分で切り替えていかないと。そうやって踏ん張っているうちに、アンバルブライベンのような馬が出て来てくれたんです。今でも頑張っていられるのは、そういう馬たちのおかげですね。

赤見 諦めなかったからこそ、今につながったんですね。

田中 今でも、1個1個が未来につながると信じてやっています。こうして重賞も勝たせてもらって、ひとつの形にはなったかなと思うのですが、ここで満足したら止まっちゃうので、もっともっと頑張って行きたいです。

赤見 謙虚ですね。

田中 そうですか? でも、本当にそう思いますし、今考えると減量があった頃って、自分では1頭1頭大事に乗ってたつもりでも、本当はそこまで大事に乗れてなかったなって。今でもそんなには勝ててないんですけど、逆にこんな僕に乗せてくれる関係者にすごく感謝していますし、1頭1頭に感謝して乗ってます。

おじゃ馬します!

▲「乗せてくれる関係者、乗せてもらった1頭1頭に感謝しています」


赤見 常に謙虚ですね。でも、この世界で長く周りの人にかわいがってもらって乗せてもらうってなると、そういう気持ちも大事ですもんね。毎年毎年新人が出てきて、自分はどんどん中堅に向かっていく。その中で存在感を出すというか。

田中 今年はすごい新人が2人もいますしね(笑)。ジョッキーって勝たないと営業にならないので、厳しい世界だと思いますけど、自分で選んだ世界ですからね。競馬に行ったら楽しいですし、勝たせてもらったらもっとうれしいので、それが頑張れる原動力です。

 振り返ってみると、ここまでの騎手人生というのは、思い描いていた理想とは全く違う形にはなりましたけど、こうやって重賞を勝てるような馬にも乗せてもらってますし、勝ち鞍はそこまで多くはないんですけど、その分乗せてくれた方々1人1人、乗った馬1頭1頭にありがとうと心から思えるので、悪くはないなって思うんです。乗せてもらえることに感謝しながら、最高の結果を出せるように丁寧に頑張っていれば、きっと結果はついてくるというか。そういうふうにできたらなと思っています。(了)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング