外枠は少しも不利ではない
伝統の函館記念は、夏競馬の日程がどんどん短縮されたこと。自身の施行時期が変化したこと。さらには宝塚記念の時期が変化し、現在は中2週になっていること。札幌記念が別定のG2となって秋の路線に直結したことなど、さまざまな理由で時代とともに重賞の特徴が大きく変化した。
だいぶ以前、夏のオープン馬は避暑を兼ねて北海道へ行くのがふつうだった当時のこと。1988年の函館記念は、87年の日本ダービー馬メリーナイス、長期の欧州遠征から帰国した85年の日本ダービー馬シリウスシンボリ、87年の2冠牝馬マックスビューティなど、現在とはまるで別の重賞のような超豪華版だった。勝ったのはその88年の日本ダービーを1番人気で凡走したあと、秋への巻き返しを図ろうとした3歳馬サッカーボーイ(父ディクタス)である。
当時は、時計の速い寒冷地用の野芝だったが、豪快にまくってメリーナイスに5馬身もの差をつけたサッカーボーイの勝ちタイムは「1分57秒8」の日本レコード(※当時)。1分58秒のカベ突破の快記録である。そのサッカーボーイの3歳下の全妹は、ゴールデンサッシュ(父ディクタス)。繁殖牝馬としての代表産駒が、ステイゴールドである。
ステイゴールドは、夏の北海道は札幌で1戦1勝だけだが、サッカーボーイの一族らしい隠れた平坦巧者であり、7歳になって初めて海外遠征のドバイシーマクラシック勝ちも、初めてG1を制した最後の1戦香港ヴァーズも、坂のないコースである。
今春2月に21歳で死亡してしまったが、代表産駒のオルフェーヴル、ゴールドシップ、ドリームジャーニー、ナカヤマナイト…などの活躍馬は、その出発が夏の北海道や新潟などの平坦コースである。函館記念の
マイネルミラノ(父ステイゴールド)が、北海道への初遠征となったほぼ平坦の函館の巴賞を圧勝したのは、洋芝が合っていたこともあるが、平坦に近いコースに対する適性抜群だったのである。昨年の夏には、福島2000mを鮮やかに勝ってもいる。
函館競馬場のすぐ近くで生まれた丹内祐次騎手(29)。函館の重賞になると大きく注目される。9戦してまだ未勝利だが、骨折での長期離脱が大きく影響したスランプ期間を脱し、今年はJRAの初重賞(マイネルクロップのマーチS)を制するなど、もう完全に本来の丹内騎手に復活している。自信を持ってレースを作れる。
前回のマイネルミラノはテン乗り(馬は初コース)だったが、変にペースを落とすことなく「前半47秒8-(1000m通過59秒5)-後半47秒0」=コースレコードと0秒5差の1分46秒5。いきなりマイネルミラノの最大の長所を生かすイーブンペース(バランスラップ)を作り上げてみせた。
函館2000mは最初の直線が長いから、外枠は少しも不利ではない。内の各馬を見ながら、ハナに立つことができる。果敢に、強気に出るとき、今回も単騎マイペース必至だろう。サッカーボーイのように思い切って乗りたい。
なお、マイネルミラノの母方はもともとはアメリカで発展した牝系であり、マイネルミラノから数えて6代母になるイコールヴェンチャ(1953)は、1946年、史上7頭目の米3冠馬となったアソールト(父ボールドヴェンチャ)の全妹になる。
相手本線は、
ダービーフィズ、
デウスウルト、
ヴァーゲンザイル、
エアソミュール。