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ホーストラスト北海道へ

  • 2015年08月15日(土) 12時00分


 組織検査の結果、父の左鼠蹊部にできた腫れ物は悪性リンパ腫だとわかった。大きな病院の血液内科で再度受診したところ、来週、PET検査という全身のスキャンを受けることになった。それがリンパ腫の診断には有用らしい。ということで、私はまだ札幌にいる。

 病気が相手なので仕方がないが、こんなに時間がかかると思っていなかったので、服も仕事の資料もあまり持ってこなかった。

 来週、東京の国会図書館で調べ物をしなければ書けない〆切がある。遅くとも17日には帰京したいと思っているのだが、できるだろうか。

「東京でしかできないこと」の私にとっての重要度がほかの地域のそれより高いから、私は東京を拠点にしている(のだと思う)。もちろん、「北海道でしかできないこと」もたくさんある。と言いながら、今回の滞在はバタバタして、札幌競馬場にも門別競馬場にも日高の生産牧場にも行けずにいる。

 札幌の実家から日帰りできる、いくつかの行きたい場所のうち、一カ所だけ、時間をつくって訪ねることができた。

 岩内にある養老牧場「ホーストラスト北海道(http://www.horse-trust.jp/hokkaido.html)」である。

 この牧場では、元競走馬のサラブレッドを中心とした30頭ほどの馬たちが、自然に近い状態で、静かに、のんびりと過ごしている。

 代表の酒井政明さんとは東日本大震災と原発事故の被災馬取材を通じて知り合い、気がつけば4年以上にわたって、ちょくちょくとお世話になっている。

熱視点

ホーストラスト北海道で、代表の酒井政明さん(左)と筆者。


 私はこれまで、いろいろな立場で馬に関わっている、たくさんの人たちに会ってきた。その人たちがどれだけ馬を好きか、その愛情の度合いを単純に比較することはできない――ということを承知のうえで言うが、馬に対する愛情の総量で、酒井さんの右に出る人は、そういないように思う。

 酒井さんと馬の話をしていると、

 ――人間って、ある一種類の動物を、これだけ好きになることができるものなんだな。

 とつくづく思わされる。

 ホーストラスト北海道には、「モコ」というメスのミニチュアシュナウザーと、「ハイジ」というビーグルとコーギーのミックスとおぼしきメス犬、そして「マロ」という、もうすぐ1歳になるのにまだ目が青いメス猫がいる。酒井さんはもちろんそれらの動物も可愛がっているのだが、彼の馬に対する愛情には、厩舎や放牧地を手作りする労力をいとわない情熱や、これから牧場をどう発展させていくかという夢や思いをひろげるエネルギーなどもこめられた、特別な強さがある。

「連絡は夜中の12時ごろまでオッケーです」と言いながら、朝5時ごろから馬の面倒をみている。ということは、毎日、3〜4時間しか寝ていないらしいのだが、「大変ですね」と言っても、返ってくるのは「何がですか?」といった感じのリアクションなのである。

 ホーストラストにいる馬のなかには馬齢がひと桁の馬もいるが、「養老牧場」という名のとおり、多くはここで余生を過ごす高齢馬である。やれあの馬が脚を痛がっている、やれあっちは疝痛だ……といったトラブルは日常茶飯事(それも24時間)のはずなのだが、そうした馬の世話をすることは、彼の感覚では手間や労力のうちに入っていないのだろう。

「馬たちが幸せになってくれれば、それでいいんです。馬が亡くなったとき、『かわいそう』と涙を流すのではなく、『よく頑張ったね』と笑って見送れるようにしたいと思っています」

 そう話す酒井さんは、自然体でいる馬たちを見ているのが好きなのだという。

 なるほど、確かに面白いと思ったシーンが、次に紹介する2枚の写真だ。

 右の青鹿毛がサンデーサイレンスの全妹のサンデーズシス(25歳)で、左の栗毛がエアグルーヴの半姉のカーリーエンジェル(25歳)である。

熱視点

同じ放牧地で仲むつまじげにしている、同い年のサンデーズシス(右)とカーリーエンジェル。


 馬体をぴたっと寄せて、同じような姿勢でこちらを見ている2頭はとても仲がいいんだな……と思っていたら、実は、サンデーズシスが一方的にカーリーエンジェルを好きなのだという。サンデーはずっとそばにいたがって体をすり寄せようとしているのに、カーリーは迷惑そうに逃げている。

熱視点

サンデーズシス(右)に迫られて、尾を振って逃げるカーリーエンジェル


 このように、たくさんの馬がいるコミュニティーでは、自然とペアができたり、誰かが誰かを一方的に好きになったり、誰とも仲よくしようとしない馬が出てきたり……と、いろいろな「馬模様」が見られる。

 私が今回訪ねたときは、1枚目の写真、酒井さんとのツーショットの後ろにも写っているように、芦毛の3頭――エイシンタイフーン(セン22歳)、ディアーナ(牝18歳)、ジャックモンティー(牝9歳)が一緒にいることが多かった。ここにいる芦毛はこれら3頭だけなので、「集合率」は100パーセントである。暑い日は、白い者同士で集まっているほうが涼しげに感じるのだろうか。

 重賞を3勝したほか、2003年の天皇賞・春で1番人気(ヒシミラクルの3着)になったダイタクバートラム(セン17歳)や、震災の津波で被災したアドマイヤチャンプ(セン18歳)などに代表されるように、ここにいる馬たちは、それぞれの物語を持っている。

 幸せに余生を過ごす姿を見ながら、そうした物語に思いを馳せることができる場所――それがホーストラスト北海道だ。

 実は、ホーストラストの雰囲気がいいのはもちろんだが、私は、札幌からここまでのドライブコースも好きで、道中、小樽運河のレンガ造りの倉庫街や、石狩湾の美しい海景、余市を過ぎてから姿を現す山の姿などを見るたびに「いいなー」と思ってしまう。

 こうして書きながら気づいたのだが、ストレスの多い滞在だったから、いくつかの行き先候補のなかから、あまり考えずにパッとホーストラストを選んだのかもしれない。

 馬たちにも癒されるし、前述した猫のマロが、酒井さんや、スタッフの土舘麻未さんよりも、どういうわけか私によくなつくので、可愛くて仕方がない。

 また訪ねるのが楽しみである。

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作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊競馬ブック、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。netkeiba.com初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリー『ダービーパラドックス』。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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