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キズナへ

  • 2015年09月26日(土) 12時00分


 キズナが、現役を引退した。今月18日に鳥取の大山ヒルズから栗東に帰厩したばかりだったが、右前脚に繋部浅屈腱炎を発症。その2日後、引退が発表された。

 2年前の2013年には武豊騎手とのコンビで日本ダービーを制覇。秋は凱旋門賞を最大目標に渡仏し、前哨戦のニエル賞で英国ダービー馬ルーラーオブザワールドを退け優勝。「日本競馬の父」安田伊左衛門が、英国に範をとって作成した「東京優駿大競走編成趣意書」をもとに創設された日本ダービー。80年以上のときを経て、その勝ち馬が、「本家」のダービー馬を差し切ったのだ。

 つづく凱旋門賞でも、スタートからゴールまでずっと勝利を意識させるレース運びで4着。先輩のオルフェーヴルとともに、いわゆる「世界の壁」をいつでも吹き飛ばせそうなパフォーマンスを見せてくれた。

 その年の有馬記念は体調が整わなかったためパスし、翌14年の大阪杯で復帰。それがまた強烈だった。最後方からライバルのエピファネイアらをまとめてかわし、さらに強くなった姿を披露した。しかし、次走の天皇賞・春では4着に敗退。レース中に発症したと思われる骨折のため、休養に入った。

 今年2月15日の京都記念で復帰したが、3着。大阪杯2着、天皇賞・春7着と、本来の力を発揮できず、また充電期間をとり、この秋シーズンに備えていた。

 チームノースヒルズの総帥である前田幸治氏が、来年も現役を続行し、再度凱旋門賞に参戦するプランを明かしていただけに、残念だ。

 夢のつづきは、産駒に叶えてもらえるよう、思いを託したい。

 たくさんの人の、いろいろな思いを背にして走った馬だった。

 キズナという名が、まず先にあった。

 東日本大震災発生から2週間ほどしか経っていなかった11年3月26日、ドバイワールドカップで、前田氏が所有するトランセンドがヴィクトワールピサの2着となり、史上初の日本馬によるワンツーフィニッシュという快挙をなし遂げた。

 そのおり、ホテルでもタクシーの車中でも、前田氏は、震災に心を痛めた現地の人々からあたたかい励ましの言葉をかけられた。ほどなく「絆」という言葉が盛んに使われるようになり、前田氏は、最も期待できる馬にキズナと名づけることを決めた。

 同年秋に大山ヒルズに移って本格的な育成段階に入ったキズナに、正式にその名が与えられた(つまり馬名登録された)のは、2歳時、12年の夏ごろか。

 当時から大きな期待を集めていたキズナは、前田氏の弟の前田晋二氏の所有馬として12年10月7日の新馬戦で佐藤哲三元騎手を背にデビュー。圧巻の勝利をおさめ、次走の黄菊賞も快勝。この馬でのダービー制覇を夢見ていた佐藤元騎手はしかし、2週間後のレース中に落馬して負傷。その後、2年近く治療に専念したが、引退することになった。

 新たなパートナーに指名された武騎手もまた、10年春の落馬事故以来、本来のリズムに乗り切れずにいた。

 コンビ初戦のラジオNIKKEI杯2歳ステークスでは3着、年明け初戦の弥生賞では5着と、結果を出せずにいたが、毎日杯と京都新聞杯を圧勝し、ダービー制覇につなげた。

 このダービー制覇は、武騎手にとって通算5勝目であり、ひとりの騎手による史上初の父仔制覇(ディープインパクト、キズナ)であった。第80回の節目。青鹿毛馬による初制覇でもあった。

 ノースヒルズにとっては、92年に初めてダービーに生産馬を出走させてから8度目、12頭目での初制覇。同牧場の生産馬として初めてGIを勝ったファレノプシスの弟で初のダービー優勝というのも、特別な血の力を感じさせる。

 こういう「いい話」をしているときにするべき話ではないのかもしれないが、私は、ダービー当日、キズナの単複を買ったつもりが、いつもの癖で「11レース」にマークし、ワカタカカップの1枠1番バンブーリバプールの単複を、財布に入っていた金の半分ほど買ってしまった。バンブーは13着だった。気づいてから「10レース」のキズナの単複を買いなおしたので、トータルではプラスになったが……まあ、今となってはネタになるからよしとしたい。

 私は、このnetkeiba.comに「絆」という競馬小説を連載していた。震災の被災地と被災馬にスポットを当てたものを書きたいと思い、主役の馬の名をキズナとした。11年の暮れだったか、編集者に提出したこの小説の企画書に、「オーナーのイメージは前田幸治氏」と書いた。そして、「絆〜ある人馬の物語」が12年6月初めから同年暮れまで連載された。

 連載中、本物、というか、実物のキズナがデビューした。小説のキズナは、父がシルバーチャームで、母の父がホワイトストーンだった。実物は、父ディープインパクト、母の父ストームキャット。出自はまるで異なるが、前田オーナーの弟さんが馬主で、とてつもなく強かったので、ものすごく驚いた。もちろん、私は、実物の存在を知らずに小説を書いていた。が、途中から時期が一致し、小説のなかのキズナがデビューしたのは12年10月15日アップの第20話で、実物のキズナの新馬戦の翌週だった。

 私がいわゆる「持ってる」人間でないことは、みなさんご存知だと思う。この持ってなさ加減を補って余りあるほど、キズナが、物語のなかでも、現実世界でも持っていた、ということか。

 思えば、作詞した楽曲「キズナ(歌・関根奈緒さん)」の発売日を、プロデューサーの考えでキズナの復帰戦に合わせたら、2月14日のバレンタインデーというお洒落な結果になった。

 前述したように、「日本競馬の父」にまで思いを馳せてしまうパフォーマンスを披露し、「競馬界の宝」である武騎手とともに新たな夢を見せてくれたキズナ。諦めず、夢を追いつづけることの素晴らしさを教えてくれた。

 漆黒の馬体と、直線でどんどん加速し、ゴールの瞬間最高速に達する走りは、単純に、とにかく、かっこよかった。

 いろいろなものをプレゼントしてくれた駿馬に、感謝したい。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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