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武豊騎手の写真から

  • 2016年10月22日(土) 12時00分


 先日、通算4000勝を挙げた武豊騎手を特集したスポーツ誌「ナンバー」が発売された(一部地域は数日遅れる)。

 スポーツ新聞などにも広告が出たので、メイショウの勝負服を着た彼が腰に手をあてた表紙を見た人は多いと思う。チャンスがあれば、ぜひ手にとって、特集の見開きトビラの写真を見てほしい。1989年秋に発売された同誌の武豊特集号の写真と、今の彼の写真とが、27年の時を越えたコラボとでも言うべき形で掲載されている。

 自分の名前に「展」をつけた「武豊展」を何年かおきに各地でやってしまうのを見たときも「すごいなー」と思ったが、日本を代表するスポーツ誌で、こうして自分だけの特集が組まれている(それも2度目)のだ。「馬が競う」と書く競馬において、これほどひとりの人間が注目されるなど、日本の競馬史においても、ほかの国においても前例がない。不世出という言葉は、彼のためにあるようなものだとも思ってしまう。

 私はときどき、競馬に関する知識がほとんどなく、競馬場に行ったことも馬券も買ったことがない人たちと仕事をする。競馬関連の仕事、である。何回言っても企画書に「落馬」のことを「転落事故」と書いてきたり、「日高育成牧場の調教師」という表現をしたりする人でも、「武豊」だけは、顔もプロフィールも、奥さんがタレントだったことまで知っている。

 有名人が騎手になったわけではなく、騎手が有名人になったのだが、「武豊」という存在がここまでメジャーになってしまったがために、ほとんどの人がその順番を忘れている。

 彼は、最初から有名だったわけではない。騎手として結果を出し、多くの人々を驚かせたり感動させたり、つまり、心を大きく動かしつづけたから、誰もが知る騎手になったのだ。

 デビューした87年、不滅と言われていた加賀武見氏の新人最多勝記録を大幅に更新する69勝を挙げ、

 ――お、タケクニさんの息子は、なかなかすごいぞ。

 と、まず関係者や、競馬に詳しいファンに存在を印象づけた。

 そして2年目の88年、スーパークリークで菊花賞を圧勝し、GI初制覇を遂げた。ほかにも乗れる馬がいたのにクリーク騎乗にこだわった選馬眼、外枠からスムーズに内にもぐりこんだ騎乗技術、かつての騎乗馬の癖を利用して進路を確保した頭脳――をフルに生かし、GIジョッキーになった。

 この年、彼の得た進上金が1億円を突破した。当時は億の金を稼ぐスポーツ選手はプロ野球の落合博満氏、競輪の中野浩一氏ぐらいなものだったのだが、あどけなさの残る19歳の少年が、鞭一本で億を稼いだという事実は衝撃的だった。

「天才ジョッキー武豊」の名は、競馬サークルの枠を越えて知られるようになった。

 3年目の89年の桜花賞では「意図的な出遅れ」でシャダイカグラを勝利に導き、絶賛された。
 90年の有馬記念では、「燃え尽きた怪物」と言われたオグリキャップを勝たせ、「奇跡のラストラン伝説」として語り継がれるようになった。
 91年にはエルセニョールでアメリカのセネカハンデキャップを勝ち、日本人騎手による史上初の海外重賞制覇を達成。
 92年には天皇賞・春を4連覇。

 すべて書いていくとキリがないので飛ばしていくが、ほとんどすべての最速・最年少記録を更新しながら、涼しい顔で数々の大舞台を制していった。

 94年には日本人騎手による海外GI初制覇を達成。
 98年にスペシャルウィークでダービー初制覇を遂げたら、翌99年も勝って史上初の連覇をやってのけた。
 2003年には「夢」とも「不可能」とも言われた年間200勝を初めて突破。
 05年はディープインパクトで三冠制覇。
 08年には天皇賞・秋でウオッカに騎乗し、「ゴールした瞬間レジェンドになった」と言われたダイワスカーレットとの2センチ差の死闘を制した。
 13年はキズナで前人未到のダービー5勝を成し遂げ、秋にはトーセンラーでマイルチャンピオンシップを勝ち、史上初のGI100勝。

 そして今年、通算4000勝という偉業を達成した。

 と、ここに記したような実績を重ねながら「武豊」のブランド力を高め、揺るぎないものとして今に至る。

 今、私がこんなふうに彼の足跡を、ザッとではあるが、振り返ってみる気になったのは、前述した「ナンバー」の特集トビラの武騎手の写真を見たからだ。

 以前、本稿に書いたように、私は、写真などのビジュアルというのは、活字という不自由な媒体が読み手のなかにイメージを立ち上げ、ひろげていくのに対し、固定された「風景」だったり「表情」などが提示されるがゆえに、見た人間が抱いたイメージがそこに収束されていく、つまり、わかりやすくなるかわりにひろがりがなくなるのが普通だ、と考えている。

 ところが、だ。このトビラの写真は、「ふたりの武豊」を起用したデザインのなせるわざだろうが、見ているといろいろなイメージが湧いてきて、記憶が喚起される。

 同様に素晴らしい写真作品ということで思い出したのは(といっても忘れていたわけではない)、これも先日発売になった、内藤律子さんの「サラブレッドカレンダー」と「とねっこカレンダー」だ。

「サラブレッドカレンダー」で検索するとネットでも購入できる。私には一銭も入らないのにこうして薦めるぐらいだから、どれだけいい作品かおわかりいただけると思う。

 11月には東京、12月には大阪で、内藤さんと数名のカメラマンによる「輝 サラブレッド 2016」と題したグループ写真展が行われる。

 そちらも楽しみだ。

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作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊競馬ブック、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。netkeiba.com初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリー『ダービーパラドックス』。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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