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亡き愛馬への思いを重ねて― ロビンフットとの新たな絆

  • 2017年01月31日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲ロビンフットを追い続けた柴田操さんと同馬の今は


(前回のつづき)

愛馬が繋いだ運命の糸


 柴田操さんが、乗馬として所有していた愛馬フォルス(競走馬名サニーフォルス)の死のショックから立ち直ることができたのは、その弟ロビンフットの存在があったからだった。レースに出走するたびに応援幕を持って競馬場に馳せ参じていた柴田さんにとって、ロビンフットはもはや生活の一部となっていた。だが2013年11月10日のレース(1000万下・13着)を最後に、中央競馬の登録を抹消して地方競馬に移籍が決まった。

「中央から退厩の日も許可を頂いて、トレセンに行って見送りました。堀井厩舎のスタッフさんから『一緒に馬運車に乗ってっちゃいなよ』とからかわれたりしました(笑)」

 トレセンを訪れるたびに寄っていた馬具屋さんに、ロビンフットが中央から引退すると告げると、輸送をする時に脚に巻く肢巻に「ロビンフット」という名前を入れてくれた。柴田さんからのその贈り物とともに、ロビンフットは美浦から浦和競馬場へと旅立った。

 いずれロビンフットを引き取りたいと考えていた柴田さんは、引退後のことを早めに準備しておかなければという気持ちもあった。桐谷オーナーと交流を続けていたことが、ロビンフットと柴田さんの運命を好転させていく。

 2014年7月16日の浦和競馬のしらこばと賞において、レース前の返し馬で右前肢の繋靭帯に故障を発症して、ロビンフットは除外となった。

「桐谷オーナーから引退の連絡を頂きました。脚の状態もあるので引き取っても大変かもしれないと心配して下さったのですが、乗馬で乗りたいという意向をオーナーに伝えて、快諾して頂きました」

 こうしてロビンフットは、柴田さんが当時通っていた千葉県の乗馬クラブに移動した。

「その時、中央競馬から引退の日に持たせた馬名入りの肢巻も一緒に来たんです。ちゃんと使ってくれていたんだと思って嬉しかったですね」

 右前肢の故障を抱えていたロビンフットは休養をしたのち、乗馬としての調教が施された。柴田さんが暮らす埼玉県から千葉県へと通うのが徐々に辛くなってくるなど諸事情が重なり、比較的通いやすい埼玉県越生町の乗馬クラブアイルが新たな預託先となった。

「新しい環境にもすぐ慣れましたし、とても穏やかに暮らしています」(柴田さん)

 返し馬で痛めた右前肢の繋靭帯とは、これから先もずっと付き合っていかなければならないが、現在は常歩、速歩までは問題なくできるまでになっている。

第二のストーリー

▲現在は痛めた右前肢の繋靭帯も常歩、速歩までできるまでに回復


「アイルさんには脚元に最大限ご配慮いただいて運動を再開することができましたし、本当に感謝しています。私、こちらに来てわりとすぐにロビンフットから落馬したんですね。『大丈夫?』と米谷さん(乗馬クラブアイル代表)に聞かれたので『大丈夫です!』と答えたら『あなたじゃなくて、馬は大丈夫?』と(笑)。それくらいロビンフットの脚を心配してくださっているんです」

 この日は柴田さんがインストラクターの杉浦弘一さんにレッスンを受けるというので、撮影がてら見学をさせてもらった。初め杉浦さんが乗った後に、柴田さんにバトンタッチ。ロビンフットは柴田さんを背に、常歩、速歩で馬場を回る。柴田さんも、時折杉浦さんからのアドバイスを受けながら、ロビンフットとともにレッスンに集中していた。

「前脚には体重をかけないようあまり前にのめり込ませないように、後ろになるべく体重をかけるようにして乗っています。元々首が高い馬なんですけど、良い感じでハミ受けをしてくるんです。自分でもわかっているのか、ハネたりということもないですし、脚をいたわりながらうまく動いてくれるんですよね。乗っていて多少の違和感はあるのですけど、動き出せば左手前は普通です。痛めたのが右前肢なので、右手前は怖くてあまりやらないようにはしています。馬を動かすのは緊張すると先生もおっしゃっていますけど、張り(体力、元気が余っている状態)は取らないといけないですし、まず調馬索運動(ロープを使って馬を円周上に運動をさせる。騎乗前の準備運動や調教や矯正する時などに行う)で馬の張りを取ってから乗っています。そういう状況ですから、今は駈歩はお休みです。常歩、速歩だけですけど、そのような状態の馬をどう扱っていくかという勉強にもなりますし、怪我をさせてはいけませんから、この馬を放馬させてはいけないという緊張感もありますね」(柴田さん)

第二のストーリー

▲馬の張りを取ってから乗るために、調馬索運動を行っている(写真:柴田操さん提供)


 柴田さんにレッスンをつけていたインストラクターの杉浦さんは、競馬ファンでもある。ロビンフットの父ゼンノエルシドが大好きで、その産駒がクラブに来たことがとても嬉しかったと話す。

「ロビンフットが現役の時に馬券を何度も買って的中していましたので(笑)、えー?君が?儲けさせてくれてありがとう!というのが最初でしたね(笑)。まだ本性を見せてくれていないかもしれないですけど(笑)、性格は素直です。指示したことは文句を言わずにキッチリやるけど、遊ぶ時はよく遊びますし、ホント男の子という感じです」(杉浦さん)

第二のストーリー

▲「指示したことは文句を言わずにキッチリやるけど、遊ぶ時はよく遊びます」


 レッスンが終わると、柴田さんは洗い場で馬装を解いた。脚を洗ってブラシをかける。「遊ぶ時はよく遊ぶ」男の子らしい一面があると杉浦さんに教えてもらったが、レッスン中同様、洗い場でのロビンフットは実に落ち着いていた。取材を意識して、それこそ本性を見せてはくれなかったのかもしれないなと思いながら、カメラを向けた。

「オリンピックレベルはなかなか難しいかもしれないですけど、元競走馬でも総合馬術(クロスカントリー、馬場馬術、障害馬術の3種目を同一人馬で競う競技)などでは結構活躍している馬もいますし、掘り起こせば上を狙えそうな才能のある馬がいると思うんです」(柴田さん)

第二のストーリー

▲レッスン終了後、柴田さんに顔をすり寄せるロビンフット


第二のストーリー

▲「元競走馬でも、掘り起こせば上を狙えそうな才能のある馬がいると思うんです」


 乗馬という魅力的なスポーツをもっと広めて、競馬を引退した馬の生きていく場所が少しでも増えてくれれば…。そしてロビンフットのように脚元に不安を抱えた馬でも、乗馬としての道が拓けることもある。柴田さんにはそれを伝えたいという強い気持ちがあり、今回名前も顔も出して快く取材に応じて下さった。

「乗馬は、他のスポーツと違って別の世界があります。それはやはり馬と人とのコミュニケーションだと思います」(柴田さん)

 馬は決して道具ではない。私たちと同じく血が通っており、感情もある。コミュニケーションがうまくいかないと、人馬一体にはなれない。難しさもあるが、それだけに馬と心が通じて人馬一体になれた時の喜びは大きい。

 2009年夏、当歳のロビンフットと出会ったその時から、柴田さんと同馬は運命の糸に導かれてきた。育成時代と4年間の競走生活を経て、ロビンフットは柴田さんの元にやって来た。これからは越生の地でコミュニケーションを深め、その絆をさらに強くしていくことだろう。




※ロビンフットは見学可です

乗馬クラブアイル
〒350-0412
埼玉県入間郡越生町西和田739-1
電話 フリーダイヤル 0120-007-550
URL http://www.jouba-airu.com

見学は火曜日以外でお願いします。必ず事前に連絡をしてください。

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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