▲クラブハウスに飾られているカシマドリームの写真
(前回のつづき)
「馬からは離れられない…でも可愛いですから」
ホースパラダイス群馬のクラブハウスには、元気だった頃のカシマドリームの写真があった。カシマドリームといえば、日本ダービー当日の朝、出走取消となった悲運の馬という印象が強い。
カシマドリーム。1993年3月3日に北海道早来町(現・安平町)の社台ファームで生まれた。父はジェイドロバリー、母はダイナスクエア、母の父がパーソロンという血統だ。美浦の飯塚好次厩舎の管理馬として、1995年7月に新馬戦でデビューして2着となり、2戦目で初勝利を挙げている。明け4歳(旧馬齢表記)になって2勝目を挙げると、ダービートライアルの青葉賞(当時GIII)でマウンテンストーンの2着となって、晴れてダービーの出走権を得た。だがよりによって日本ダービー当日、疝痛のために出走取消という悲運に見舞われたのだった。
ダービー取消明けのラジオたんぱ賞(GIII・現ラジオNIKKEI賞)では、ビッグバイアモンの半馬身差の2着に健闘し、能力の高さを改めて証明した。秋になってセントライト記念は7着と掲示板を外したが、当時、菊花賞トライアルだった京都新聞杯ではダンスインザダークの2着と好走して、菊花賞(GI・10着)へと駒を進めている。その後もオープン馬として重賞にも数多く出走したが、中山記念(GII)や中山金杯(GIII)の5着が最高で、オープンではとうとう勝てないまま、北関東へと移籍していった。移籍後、足利、宇都宮で4戦したものの、いずれも掲示板にすら載れず、京都新聞杯でダンスインザダークと好勝負したかつての輝きを既に失っていたようだった。
そして前回記した通り、現役を退いたカシマドリームは、