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「馬たちのセカンドライフ」イベントレポート 引退馬と共に歩む復興への道 相馬からの挑戦(6)

  • 2018年12月04日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲相馬救援隊の相馬行胤さんが登壇「人にもう用はないと言われた馬たちが、逆に人を救うことができる」


被災地から広がる夢 馬と人が共に生きる未来


 2011年3月11日の東日本大震災で、地震の揺れと津波の被害に加え、福島第一原発の事故により壊滅的な被害を被った地域の1つに相双地域がある。福島県の東部の太平洋沿岸部に位置しており、相双の相には相馬市、南相馬市、新地町、飯館村が、双には広野町、楢葉町、川内町、富岡町、大熊町、双葉町、葛尾村、浪江町が属している。この地域で行われている馬を使った伝統祭事・相馬野馬追が全国的にも知られている。

 平将門を遠祖に持つ相馬氏が、鎌倉時代から江戸時代までのおよそ740年という長期間治めていたのが相馬地域(現在の相馬市、南相馬市、双葉郡北部)で、相馬野馬追はその遠祖である平将門が行った軍事訓練が始まりとされている。

 代々、その相馬地域を収めていた相馬家の第34代当主が相馬行胤さんで、現在はNPO法人相馬救援隊の理事長を務めている。その相馬さんが「馬たちのセカンドライフ」のシンポジウムにおいて、馬と元々縁の深い故郷の相双地域の復興に向けての「相馬救援隊」の取り組みや構想を話した。

 相馬さんは震災をきっかけに、2011年にNPO法人相馬救援隊を立ち上げている。

「2013年に家族で広島県の神石高原町に移住し、救援隊の拠点も移しました。僕らのふるさとが原発の近くにありましたし、そこに住めなくなった人たちが暮らせる場所を作ろうという活動していました」

 それが今では、相馬において馬を使ったプロジェクトを行い、今年に入ってから新しい活動を展開するという変化を見せている。

「私たちは震災で多くの人たちに助けられて、今日まで来ています。これまでは地域の振興だったり、1000年以上続く野馬追の継承など、故郷のことだけを考えて生きてきましたけど、これからは何か恩返しをできないだろうかと考えました」

 そんな時に出会ったのが、ホースコミュニティであり、サンクスホースプロジェクトだった。

「引退馬の保護であったり、競馬を引退した馬のセカンドキャリアを構築していくという活動が、とても心に響きました」

 けれども引退した馬を飼育をしたり、馬を使った活動をするにも場所が必要だ。幸いにも南相馬市には、1995年のふくしま国体の際に馬術競技会場として使用された南相馬馬事公苑があった。

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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