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ナリタトップロードの思い出

  • 2005年11月09日(水) 00時00分
 ナリタトップロードの急死が伝えられました。まだ9歳という若さです。父サッカーボーイに初のクラシックのタイトルをもたらした平成11年の菊花賞のゴール前は、悲願達成を願う切なる思いで見つめていたものです。

 テイエムオペラオー、アドマイヤベガと3冠を戦い、栗毛をなびかせひたむきに走る姿に、心ひきつけられたファンは多く、あの大きなフットワークで一生懸命にゴールを目指す数々のレースが思い出されます。

 顔に流れる白い作は父親似で、そのフットワークもそっくりでした。

 この3強の戦いに、いつも爽やかさを感じていました。それは、パートナーがフレッシュだったということです。アドマイヤベガの武豊騎手に立ち向かったダービー。直線先に動いたのが和田騎手のテイエムオペラオーで、これを渡辺薫彦騎手のナリタトップロードが捕らえに行き先頭に、そして最後に武豊騎手が満を持してライバルとの戦いに決着をつけるというゴール前は、正に名勝負でした。

 頂点に立つ第一人者に、堂々と立ち向かった若武者たち、こんなクラシックレースはそんなにありません。そして、その年は仲良くタイトルを分け合いました。

 古馬になってからはテイエムオペラオーが一歩抜きん出て、ナリタトップロードは前哨戦を勝ってGIレースへ、を繰り返していましたが、いつも鞍上は変わらず、和田、渡辺両騎手が騎乗し続けていました。

 大レースを戦うパートナーがずっと変わらないというのは、競馬にとってとてもいいことと思い続けているので、現役期間中、ずっと応援していました。名馬と呼ばれる馬には、絶対にこの騎手という存在があってこそで、渡辺薫彦、和田竜二の名前は、それぞれの名馬とともにあり続けます。それによって語り継ぐものも多くなり、競馬に対する思いは膨らむのではないでしょうか。あとは、次なる名馬に巡り合うことを祈るばかりです。

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ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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