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嶋田功さんの華と影響力

  • 2020年10月22日(木) 12時00分
 既報のように、元騎手・調教師の嶋田功さんが10月19日に亡くなった。74歳だった。現場の状況から自殺と見られるという報道にショックを受けた。

 優しくて、カッコいい人だった。

 私が競馬を始めたころ、嶋田さんは騎手時代の晩年を迎えていた。そのころは遠巻きに眺めるだけだったが、芦毛の強豪タマモクロスに惚れ込んだ私は、同じシービークロス産駒の牝馬シノクロスに重賞を連勝させた嶋田さんの鮮やかな手綱さばきに魅了された。シービークロスは、「白い稲妻」と呼ばれた芦毛の追い込み馬であった。

 私が嶋田さんと初めて膝を突き合わせて話すことができたのは、嶋田さんが調教師を引退したあとのことだった。

 そのときは、都内のマンションで、嶋田さんが騎手時代に取材を受けた、詩人・劇作家・競馬コラムニストの寺山修司について話を聞かせてもらった。

 以前、この連載に記したように、嶋田さんは、騎手時代、京王プラザホテルのラウンジで2時間ほど寺山のインタビューを受けた。編集者やカメラマンは立ち会わず、1対1の取材で、主なテーマは、嶋田さんがたびたび経験した「落馬」だったという。

 その様子を懐かしそうに振り返った柔らかな表情が脳裏に蘇ってくる。

 華のある騎手だった。と同時に、競馬界にさまざまな影響を与えた騎手でもあった。

「奇才・寺山修司」が好んで描いた騎手というだけではなく、「最後の文士馬主・浅田次郎」が競馬にのめり込むきっかけになった騎手でもあり、「元祖天才・田原成貴」が騎手になるきっかけをつくった騎手でもあり、「ダービージョッキー・大西直宏」が真似をした騎手でもあった。

 嶋田さんは1969年の日本ダービーで、圧倒的1番人気に支持されたタカツバキに騎乗したのだが、スタート直後に落馬してしまった。前夜からの雨で東京競馬場の芝コースは不良馬場になっていた。出走馬は28頭。真ん中に近い11番枠から出たタカツバキは、内と外から殺到する馬たちに挟まれて行き場をなくし、落馬したのであった。

 スタンドには当時のレコードとなった16万7000人強が詰めかけていた。そのなかに、高校2年生だった浅田次郎さんがいた。浅田さんが競馬場を訪れたのはこれが初めてだった。家を出てバイトで自活していた浅田さんは、自分の馬券が紙屑になったショックが大きかったがゆえに、競馬について真剣に考えるようになり、のちに馬主にまでなった。

 このとき嶋田さんは騎手デビュー6年目の23歳。

 2年後の1971年、ナスノカオリで桜花賞を勝ってクラシック初制覇を遂げる。翌72年、タケフブキでオークスに優勝するも、秋に落馬で頭蓋骨を骨折し一時意識不明に。翌73年に復帰すると、ナスノチグサでオークスを勝ち、同レース連覇。そして、翌週のダービーではタケホープに騎乗し、国民的アイドルのハイセイコーを破って優勝する。

 中学3年生だった田原成貴さんは、島根の実家でこのダービーをテレビ観戦していた。右手を高々と挙げる嶋田さんを「カッコいい!」と思い、騎手を目指すようになった。

 それから24年経った1997年、サニーブライアンでダービーを勝ち、二冠制覇を達成した大西直宏さんは、その夜、嶋田さんの真似をした。嶋田さんがダービーを勝った日の夜、ひとりで和室に布団を敷いて寝たという話が印象に残っていたので、自分もしてみたのだという。

 すべてのホースマンが憧れ、制覇を夢見る「競馬の祭典」で頂点に立った喜びと興奮と充足感がどのようなものか、実感として伝わってくるエピソードである。

 人の心を大きく動かす騎手だった。

 落馬負傷と大舞台での活躍を繰り返した。1974年にトウコウエルザでオークスを勝ち、史上初のオークス3連覇を達成。翌75年春にまたも落馬負傷で休養するも、76年、テイタニヤで桜花賞とオークス、アイフルで天皇賞・秋を制覇。81年にはテンモンでオークスの最多勝記録を更新する5勝目をマーク。そして82年にはビクトリアクラウンでエリザベス女王杯を勝ち、史上初の牝馬三冠全勝騎手となった。

<落馬事故がなければ、嶋田はとっくにリーディングジョッキーになっていた男である>

 寺山は『競馬への望郷』所収「騎手伝記」の嶋田さんの稿にそう書いている。その稿のタイトルには次のような嶋田さんの言葉が添えられている。

<ぼくは馬から落馬したのではない、当時の幸福すぎた人生から落馬したのです>

 実はこれは嶋田さんの言葉どおりではないという。

「読んだとき、さすが寺山先生、面白い表現をするものだなあと感心しました」

 そう言って微笑んだ。

 1988年、42歳で騎手を引退。2012年、定年前の66歳で調教師を引退。

 そして、74歳で世を去った。

 嶋田さんがいなければ、私たちが見ている競馬は、いろいろなところが違うものになっていただろう。

 どうぞ、安らかにお眠りください。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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