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世界で最も旬な騎手 弱冠26歳のコリン・キーン

  • 2021年09月01日(水) 12時00分

歴史を創り続けるアイルランドの若武者


 8月28日(土曜日)に、アイルランドのナヴァン競馬場で行われた開催の第5競走に組まれた、3歳以上のメイドン戦(芝8F)を、2番人気(オッズ3.5倍)のバレッタ(セン3)が優勝。騎乗したコリン・キーン騎手(26歳)は、アイルランドのフラット・チャンピオンシップにおける、史上最速の年間100勝を達成した。

 これまでの記録は、2013年にジョゼフ・オブライエンがマークした9月7日だったが、これを10日短縮することになったものだ。

 ダブリンの北西40キロほどの地点にある、ミース郡のトリムを拠点とする調教師ジェラルド(ジェリー)・キーンの子息として、1994年9月12日に生まれたのがコリン・キーンだ。

 父の厩舎に所属する見習いとして2010年にデビュー。同年12月10日にダンドークで行われたハンデ戦(AW8F)を、父が管理するノートリミングズ(牝4)で制し、初勝利を挙げている。

 2013年9月15日、カラで行われたG3ソロナウェイS(芝8F)を、ジャー・リオンズ厩舎のブレンダンブラッカン(セン4)に騎乗して制し、重賞初制覇。これを含めてチャンピンオンシップ期間に35勝を挙げ、見習い騎手リーディングの2位に躍進した。

 重賞初制覇がきっかけとなって、翌2014年の夏からジャー・リオンズ厩舎と契約したコリン・キーンは、このシーズンは54勝を挙げて、見習い騎手リーディングを獲得。さらに翌2015年には65勝を挙げ、首位のパット・スマレンにこそ大きな差をつけられたものの、総合リーディングの2位に浮上し、トップジョッキーの仲間入りを果たしている。

 イタリアのカパネッレで行われたG1リディアテシオ賞(芝2000m)を、アイルランドから遠征したトニー・マーティン厩舎のラガノア(牝5)に騎乗して優勝し、待望のG1初制覇を果たしたのは、2017年10月29日のことだった。

 その年、母国では自身初めてとなる年間100勝をマーク。パット・スマレンに12勝差をつけ、デビュー8年目にしてリーディングジョッキーのタイトルを獲得している。

 2018年、2019年はいずれもドナカ・オブライエンに次ぐ2位に甘んじた後、2020年は3年ぶりにリーディングの座を奪還。自身2度目のタイトルを手中にした。

 2018年、2019年と、12月に香港のハッピーヴァレーで行われたインターナショナル・ジョッキーズ・チャンピオンシップに出場したものの、コリン・キーンの名が世界規模で轟き、真の意味で大ブレークを果たしたのが、その2020年だった。

 6月にカラで行われたG1愛2000ギニー(芝8F)を、リオンズ厩舎のシスキン(牡3)で制しクラシック初制覇を達成。翌7月には、同じくリオンズ厩舎のイーヴンソー(牝3)に騎乗してカラのG1愛オークス(芝12F)を制覇。9月にはジョニー・ムルタ厩舎のシャンペルゼリーゼ(牝3)に騎乗してG1メイトロンS(芝8F)を勝利し、そして11月にはダーモット・ウェルド厩舎のタルナワ(牝4)に騎乗してG1BCターフ(芝12F)を制覇と、自厩舎以外からも騎乗依頼を受けつつ、ビッグレース制覇を積み重ねていったのである。

 こうした迎えた2021年。開幕から猛ダッシュを見せたキーンは、冒頭で記したように、歴代最速の100勝を達成。5月にはノエル・ミード厩舎のヘルヴィックドリーム(セン4)でG1タタソールズGCを制覇。そして7月にはエイダン・オブラエイン厩舎のブルーム(牡5)に騎乗してG1サンクルー大賞に優勝と、内容的にも充実したシーズンを送っている。

 今後の焦点は、コリン・キーンがどこまで勝ち星を伸ばせるかだ。

 アイルランドのチャンピオンシップ期間における最多勝記録は、2013年にジョセフ・オブライエンが作った126勝だが、シーズン終了まで2カ月以上あることを鑑みると、記録更新はほぼ確実と見られており、アイルランドの主要ブックメーカーであるパディーパワーは、キーンが新記録を樹立するという賭けのオッズを、1対5(1.2倍)まで引き下げている。

 そのパディーパワーが、同じく1対5(1.2倍)というオッズを提示しているのが、「コリン・キーンが2025年までに、エイダン・オブライエン厩舎の主戦になる」という賭けだ。

 ヨーロッパで今、最も乗れている男、コリン・キーンの騎乗に、日本の皆様もぜひご注目いただきたい。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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