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“友達”の安楽死|馬の獣医師が語る“安楽死” 4/5(社台ホースクリニック 鈴木吏)

  • 2023年10月23日(月) 12時00分
※本記事は「馬の安楽死を含む医療」をテーマとしているため、一部センシティブな写真を掲載しております。ご了承の上お読みください。

 馬の獣医師の繁忙期は、お産シーズンである1月半ば〜6月頃までだという。

 この期間は、通年で行う手術などに加え、お産に伴う治療や緊急手術が絡んでくるためだ。

 お産事故による急患対応は、夜中になることが多く、獣医師は24時間体制で対応しなければならない。馬は草食動物なので、隙が生まれやすいお産は外敵に見つかりにくい夜間に行う傾向があるからだ。そして、お産事故以外にも対応しなければならない急患はたくさんある。

「通常、生まれてくる仔馬は50kgほどあります。繁殖牝馬は、分娩することで一気にお腹の中にスペースができてしまいます。そのため、子宮の収縮に伴って腸管の位置は大きく動きます。また、北海道では5月頃には雪が解けて放牧地に青草が生え、水分含量の多い草の摂取量が急激に増えてしまいがちです。草は大腸で発酵されるため腸内細菌バランスも大きく変化します。これらの様々な要因が重なり、腸ねん転などのトラブルが多く発生しやすい時期になります」

Loveuma

▲小腸ねん転のエコー像(本人提供)


 また、繁殖牝馬に限らず、仔馬の治療なども行うことになる。

「仔馬は生まれてからの2か月くらいは自分でつくる免疫が無いので、急いで対応しなければいけない病気がたくさんあります」

 このシーズンは獣医師の中で“超繁忙期”とされているが、忙しさの質が変わるだけで年間を通して“繁忙”であることに変わりない。新馬戦が始まると骨折した現役馬の手術、夏〜秋にかけては、サラブレッドのセリに関連する検査、発育期骨疾患や喉の手術など、馬の外科医の仕事は絶えない。

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▲開腹手術以外にも様々な手術が行われる(本人提供)


 常に繁忙を極め、命と向き合う緊迫した現場に15年以上身を置いている鈴木獣医師。

──ではなぜ、先生はこの道へと進んだのだろうか?

ダビスタにハマり、調教師を志す。


 鈴木獣医師は1980年に宮崎県で生まれた。

 当時の宮崎には競馬に触れる機会は少なく、たまに放送されるNHKの「GIレースの競馬中継」や「ダービースタリオン」にハマった影響で騎手に憧れ、近くの乗馬クラブを訪れた。しかし、入会金やレッスン料を払うことができずに躊躇していた時、乗馬クラブのオーナーや指導者の厚意で、馬の世話をしながら乗せてもらえることになったという。

「本当に素晴らしい恩人たちに恵まれました。もうそこから馬にハマっちゃって、精一杯馬の世話をさせてもらい、乗せてもらって、インストラクターとしてお客さんの相手をしたり、引退馬のリトレーニングもやりました。馬の扱い方、飼い方、接し方、多くのことを学びました」

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▲当時の鈴木獣医師(本人提供)


 視力が悪かったこともあり騎手の道は諦め、今度は調教師になることを目指して県内の大学へと進学した。このタイミングで獣医学の道に足を踏み入れる訳だが、実は獣医師免許取得を目指したのも、「持っていた方が調教師になりやすい」という動機からだった。

「獣医師になりたいというよりも、『なぜこんなに高く飛べるんだろうな』とか、『すごい力あるけどこの筋肉はどこにあるんだろうな』とか、純粋に生き物として興味があったんです。とにかく馬が好きで馬のことを知りたいから、獣医学科に行けば、いっぱい勉強して馬を知れるかなと」

 調教師を目指して獣医学科に通う傍ら、大学馬術部には入らず、引き続き乗馬クラブに通っていた。

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▲馬術大会で障害を飛越する、当時の鈴木獣医師(本人提供)


 そんな鈴木獣医師に、大きな転機が訪れる。

「君の糧にしなさい」


 数年間も乗馬クラブにいると、馬が体調を崩し死亡したり、あるいは安楽死の決断をしなければならない場面に何度か遭遇した。その際、当時まだ獣医学科の学生だった鈴木獣医師も、安楽死処置や解剖実習を行う機会があったそうだ。

「宮崎にはそれほど多くの馬がいません。そのため、大学での実習は主に牛が中心でした。馬を勉強する機会の少ない私に、『君の勉強の機会にしなさい』と言っていただき、大学まで運んでもらい病理解剖実習にご献体していただくことが何度かありました」

 獣医学科といっても、馬を扱える人間はそう多くなかった。牛・豚・鶏などの生産が多い宮崎の大学では、鈴木獣医師の様に“馬を扱える人間”は多くなかった。

「ずいぶん前の話です。今ではあり得ないことだと思います。当時は何の薬を使って麻酔をかけ、安楽死していたかすらもはっきりと覚えていません。ですが、大学の先生と一緒に、安楽死をしたことを覚えています」

 安楽死を任された馬の中には、高校生の頃に体験乗馬で初めて乗った馬や、自分が調教していた馬、初めて大会で優勝した馬もいた。

「一所懸命に大会を目指したり、自分で調教したり、お客さんを乗せて楽しい思い出を作ったり、自分にとっては苦楽を共にした“家族”や“友達”のような存在でした。そういう馬たちを自分の手で安楽死するというのは、すごく精神的に堪えます。

 はじめての解剖実習の時の感情、匂い、手触り、部屋の空気感を忘れることはありませんでしたが、牛の解剖実習にはある程度慣れてしまっていました。なので、自分の知っている馬にだけ特別な感情を持つことにも疑問があったし、その気持ちをどう整理してよいのか深く悩みました。そして、馬の命について考えました」

 自分の中で特別な存在であった馬を手に掛けることには、想像しがたい辛さが伴う。

 人によってはPTSD(心的外傷後ストレス障害)になるような出来事かもしれない。

Loveuma

▲当時の鈴木獣医師と、“友達”であった馬(本人提供)


 いよいよ安楽死の時が訪れると、まず麻酔で自分より体の大きな“友達”を倒す。

“ドンッ”という大きな音と衝撃が響く──。

「今では毎日のように、馬を(手術のために)麻酔して寝かせているので、馬を倒すことに抵抗はありませんが、自分よりも体の大きな動物が大きな音を立てて倒れる様は、当時の私にとって視覚的な強烈さ以上に、心に響くものがありました。

 倒れた馬が『どこかに知っている人がいないかな』と周りを見ると、そこには僕がいるわけです。『何が起きてるの?』という様子で、“ジッと”僕を見る。そして頭を抑えながら安楽死の処置を始めると、悲しい目をして僕を見るんです。どの馬もみんなそうでした。『どうしたの?』『なんでそんなことするの?』って言われているような気分でした。涙を抑えられませんでした。それが心に残っていて。今でも思い出すと、すごく辛いです」

 今の鈴木獣医師なら救えたかもしれない馬も、そこにはいた。

 なにもしてやれなかった自分に対して滲み出る悔しさと同時に、自身に与えられた“使命”を感じたという。日本トップレベルの馬の専門病院で多くの馬の命を救ってきた鈴木獣医師には、このようなバックグラウンドがあったのである。

「調教師になりたいと思っていたけど、神様からのお示しで『あんたは獣医師になりなさい』と言われてるんだな、と。“友達”を犠牲にしてまで、これだけの経験をさせていただいて。こんな経験をする人間は多くはない。そんな人間が獣医師にならないとダメだよなと思ったんです。そして、そういう馬たちも助けられる様になりたいと思ったのが、獣医師を目指した理由です」

(次回は2023.10.30公開予定です)

取材協力: 鈴木吏 社台ホースクリニック

取材・文:片川 晴喜

デザイン:椎葉権成

協力:緒方 きしん

監修:平林 健一

著作:Creem Pan

【記事監修】引退馬問題専門メディアサイト

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引退した競走馬の多くは、天寿を全うする前に、その生涯を終えているー。業界内で長らく暗黙の了解とされてきた“引退馬問題”。この問題に「答え」はあるのか?Loveuma.は、人と馬の“今”を知り、引退馬問題を考えるメディアサイトです。

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