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伊集院静さんへ

  • 2023年11月30日(木) 12時00分
 11月24日、作家の伊集院静さんが亡くなった。73歳だった。

 今年10月27日に肝内胆管がんを患っていることを公表してからひと月足らずでの訃報だった。それだけに、信じられない、信じたくないという思いが強かった。

 奥様で女優の篠ひろ子さんが、「強がりを言って誰にも会わずに逝ってしまった主人のわがままをどうかお許しください」と書面で発表した。あの伊集院さんが執筆を休止して治療に専念したほどだったのだから、相当苦しかったのだろうし、その姿を人に見せたくなかったのだと思う。もう一度会いたかったし、またいつもの笑顔を見せてほしかったが、叶わなかった。

 大きな人だった。作家としても、文化人として持つ影響力も、人間としても、そして体も大きかった。

 1950年に山口県の防府市で生まれ、立教大学では野球部に所属。卒業後、広告代理店勤務を経てクリエイターとして独立し、伊達歩のペンネームで「ギンギラギンにさりげなく」「愚か者」などの作詞を手がけた。

 作家としては1992年に『受け月』で直木賞、1994年に『機関車先生』で柴田錬三郎賞、2002年には『ごろごろ』で吉川英治文学賞を受賞している。2016年には紫綬褒章を受けた。

 文壇や出版界のみならず、芸能界やスポーツ界からも悼む声が多く聞かれたことも、伊集院さんの活躍の幅広さを示している。

 ギャンブルにも造詣が深く、週刊誌の連載エッセイで競輪や競馬について記したり、競輪エッセイをまとめた著書を出したり、1980年代の終わりにJRAのCMに出演したり、2013年の天皇賞(秋)当日には東京競馬場でプレゼンテーターをつとめ、パドックでトークショーをしたりと、さまざまな形でギャンブルの魅力を発信してきた。

 私は、文章を書く仕事を始めた1980年代の終わりから、いや、その前から「クリエイティブ業界の超有名人」だった伊集院さんのことを知っており、いろいろな噂を聞いてきた。そのひとつが、前述した東京競馬場でのトークショーでも話していた、「ギンギラギンにさりげなく」の歌詞を30分ぐらいで書いて2億円の印税をもらい、それを競馬で3カ月で遣ってしまった、というものだった。

 絶世の美女として知られた女優の夏目雅子さんと結婚し、1年ほどで夏目さんが白血病で亡くなったことも、ニュースとして知っていた。私のなかでの「伊集院静」のイメージは、いろいろな才能があって、とにかくモテる人、というものだった。

 そんな伊集院さんが、私のなかでさらに特別な存在となったのは、1990年の夏、武豊騎手のアメリカ遠征に同行したときの帰国便での会話がきっかけだった。私はその少し前から武騎手に直接取材をするようになったばかりだった。ありがちな質問だが、武騎手に「尊敬する人は?」と訊くと、「伊集院静さんです」と即答した。こちらに力ませないし、何でも話してしまう。一緒にいる感じは兄弟子の河内洋さん(現調教師)といるときと似ている、ということだった。

 私にとってスーパーヒーローだった武騎手が憧れる存在──ということで、伊集院さんの著作などを、最初は「仮想敵」を研究するようなつもりで読みはじめたら、いつの間にか、すっかりファンになってしまった。

 私が伊集院さんと初めて話す機会を得たのは、1995年初夏、武騎手の結婚式のときだった。前にも記したように、伊集院さん夫妻が仲人をつとめていたのだ。

 私と、今はサンライズプロの代表となっている横田和光さんがオートロックのドアの外に締め出される形になってしまったとき、携帯電話を耳にあてた伊集院さんが内側からドアを押し開けてくれた場面が、あの日の記憶としてなぜか最初に蘇ってくる。

 外観は怖かったが、とても優しく、面白い人だった。私が「伊達歩」の「歩」は「あゆみ」と「あゆむ」のどちらなのですかと訊くと「どっちでもいいんだよ」。『受け月』の読み方は「うけつき」と「うけづき」のどちらですかと訊くと、「鼻の詰まった人が『うけづき』って言うの」と笑わせてくれた。

 武騎手が「まねをしたくなる」と言っていたのがよくわかる、やることのカッコいい人だった。

 銀座の高級クラブで飲んでいたとき、さっと紙のコースターを裏返し、ホステスに借りたボールペンで「月天心 貧しき街を 通りけり。与謝蕪村」と俳句を記し、私にくれたことがあった(「街」と句点は伊集院さんの直筆ママ)。月明かりの下で蕪村が見た町並みの静謐さを詠んだという解釈が主流のようだが、伊集院さんは、すべての人に月明かりが届くことが肝心なのだ、といった話をしていた。蕪村の句を記した文字も、著書にサインしてくれる文字も独特の筆跡で、とにかくカッコいいのだ。

 ずいぶん前のことになるが、伊集院さんも私も招待された結婚式で、用意されたホテルの部屋が1泊何十万円もしそうなスイートなのでビビっていたら、伊集院さんが電話をくれて、「部屋代は向こうが払ってくれるから心配するな。おれも若いころ、こういう部屋を用意されて驚いたことがあるんだ」と教えてくれたこともあった。

 自分より弱い立場の人間に対して、細やかな気配りをしてくれる人だった。

 著書『むかい風』『眺めのいい人』『旅だから出逢えた言葉』の文庫版の解説や、その他の著書の書評、2019年に行われた伊集院静展のパネルなどの書き手のほか、トークショーの対談相手や雑誌のインタビューの聞き手に私を指名してくれたり、私の著作『「武豊」の瞬間』『伝説の名ジョッキー』『虹の断片』『絆〜走れ奇跡の子馬〜』に帯文を寄せてくれたりと、お世話になりっぱなしだった。伊集院さんには何のメリットもないのに、いろいろなチャンスを、次々と与えてくれた。

 それなのに、何もお返しできなかった。会ってお礼を言いたかったが、そんなことをして私が泣いてしまったら失礼になるし、そういう時間を持つことをよしとしない人だ。

 まだまだ書きたいこと、書かなければならないことはたくさんあるが、キリがないので、今回はこのくらいにしておく。

「大物」と聞いて、私がパッと思い浮かべたのは、タイプの異なる岳父と伊集院静さんだったのだが、2人とも逝ってしまい、悲しい11月になった。

 お手本がいなくなった喪失感は大きいが、岳父も伊集院さんも、住む場所を変えただけだと思って、受け入れるしかない。

 伊集院さん、ありがとうございました。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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