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東西格差のなくなる日

  • 2023年12月14日(木) 12時00分
 先週の阪神JFで美浦・黒岩陽一厩舎のアスコリピチェーノが勝利をおさめ、2着に美浦・国枝栄厩舎のステレンボッシュ、3着に美浦・加藤士津八厩舎のコラソンビートが来て、関東馬の1-2-3フィニッシュとなった。GIで関東馬が上位3着までを独占したのは日本ダービーと菊花賞につづく今年3回目。1-2フィニッシュという括りにすると、皐月賞、NHKマイルカップ、宝塚記念、エリザベス女王杯、チャンピオンズカップもそうだった。

 JRAの平地GIは24レースなので、阪神ジュベナイルフィリーズで関東馬のGI勝利が「13」となったことにより、関東馬による25年ぶりのGI勝ち越しが決まった。

 長くつづいた「西高東低」の風向きが、ついに変わるのか。トータルの勝ち鞍ではまだまだ関西馬が1.3〜1.4倍ほど関東馬より多く勝っているが、それでも、大舞台での活躍が目立つようになると、印象は大きく変わる。今後、いわゆる「東西格差」が小さくなり、やがては逆転し、再度「東高西低」の時代がやってくるかもしれない。

 今年は、関東馬のGI・13勝のうち、イクイノックスが3勝、レモンポップとソングラインが2勝ずつと、3頭のスーパーホースで7勝を挙げたのが大きかった。引退したイクイノックスを追いかける存在として、クラシック三冠を勝ち分けたソールオリエンス、タスティエーラ、ドゥレッツァなどがいるだけに、来年以降も、特に大舞台では関東馬の優勢がつづいても不思議ではない。

 ところで、直近(といっても四半世紀前だが)の関東馬によるGI勝ち越しが見られた1998年はどんな年だったのか。パッと思い浮かぶのは、武豊騎手がスペシャルウィークで日本ダービー初制覇を果たし、夏にはシーキングザパールで仏モーリスドゲスト賞を勝って、日本調教馬による史上初の海外G1制覇をなし遂げたことだ。ほかに、悲しい記憶ではあるが、サイレンススズカが天皇賞(秋)で世を去ったことも忘れられない。

 当時のJRA平地GIは20レース。大阪杯、ヴィクトリアマイル、チャンピオンズカップ、ホープフルステークスが(GIとして)行われていなかった。

 その年、関東馬は平地GIを13勝。セイウンスカイが皐月賞と菊花賞、エルコンドルパサーがNHKマイルカップとジャパンカップ、タイキシャトルが安田記念とマイルチャンピオンシップ、と3頭が複数のGIを勝っている。

 しかし、翌1999年は8勝、2000年は1勝、2001年7勝、2002年は8勝と、負け越しがつづく。

 正直、1998年の競馬をリアルタイムで見ていたときは、「これで西高東低の潮目が変わるかも」とは思わなかった。1980年代後半から強くなった「関西馬旋風」が、1990年代半ばから吹きはじめた「サンデーサイレンス旋風」でさらに勢いを増し、強いサンデー産駒の大半が関西に入厩するのは当たり前、という空気になっていた。以前、東西格差について取材した小島茂之調教師は、「あのころは『武豊旋風』に関西馬全体が乗っかった部分もあったように思います」と話していた。とにかく、西からの風が恐ろしく強かった。

 栗東トレセンで1985年に開設された坂路コースが美浦には1993年、栗東で1988年につくられたプールが美浦にも1991年につくられるなど、ハード面で不均衡をなくす方向に進んではいたが、「西高東低」の流れは変わらなかった。

 ハード面、すなわち施設面でしばしば言われていたのは、東西の坂路の違いだ。美浦の坂路は、2004年に改修されても栗東のそれより高低差が小さく、馬への負荷も小さかった。美浦の坂路では引っ掛かって仕方がなかった馬が、栗東の坂路ではバテて途中で止まってしまった、というケースもあったほどである。

 それが今年改修され、高低差が従来の18メートルから33メートルとなり、栗東の32メートルと同等になった。

 サンデー産駒は2006年のクラシック世代がラストクロップとなり、代表産駒のディープインパクトが2019年に世を去ったことで、今年の3歳が数少ないラストクロップとなった。サンデーの血が薄められ、まんべんなく行きわたるようになったことで、関西への偏りがなくなりつつある。

 また、これは特に大舞台での勝敗に影響してくるのだが、福島のノーザンファーム天栄と、滋賀のノーザンファームしがらきの規模も実績も拮抗しており、どちらかが極端に優勢になることはないだろう。

「東西格差」がなくなる日が訪れようとしていることは確かなように思われる。

 最後に書くことではないかもしれないが、そもそも競馬を東西に分けて見る人が、特に若い世代では少なくなってしまったのかもしれない。

 1990年代の、競馬がものすごく盛り上がっていたころは、例えば、関西の騎手がダービーに騎乗するとき、土曜日の新幹線で何人か一緒に移動し、東京駅で新聞記者たちに迎えられて「東上」してきたことを実感すると同時に誇らしく思う、といったことがあった。今はなくなった食堂車で飲みすぎてベロベロになる人もいたりと、東西の行き来が今ほど多くなかった時代ならではのエピソードもあった。

 何度か東西格差について話を聞いた国枝調教師は「小倉なんかは圧倒的に関西馬に有利なんだから、バランスを取るために、美浦の北馬場で競馬をやればいいんだよ」と言って周囲を笑わせていたが、その北馬場もなくなってしまった。

 時代が変わったと言ってしまえばそれまでだが、「西の秘密兵器」といった言葉が死語になってしまったのは、ちょっと寂しい。

 これだけネットやSNSが普及すると、秘密にすることができないのだから、仕方がないのか。

 今回もまた、わけのわからない話になってしまった。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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