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菊花賞

  • 2006年10月23日(月) 12時55分
 3分02秒7の菊花賞レコードが記録された。従来の記録は1998年のセイウンスカイ(横山典)の逃げ切りを、スペシャルウィーク(武豊)が追い詰める形で樹立された大レコードだったが、今回の主役もアドマイヤメイン(武豊)とドリームパスポート(横山典)のレースの作り方、ペース判断によるところがきわめて大きかった。

 勝ったソングオブウインド(父エルコンドルパサー)は、最後方近くでスタミナ温存。折り合いに専念し同馬の秘めていた可能性を100%というより、150%も引き出してみせた幸四郎騎手の好騎乗によるところ大だが、人気薄のかなり気楽な立場。はまった形だった。初GIどころか初の重賞制覇だから、今後が楽しみであると同時に、本当の評価を得るのはこの次だろう。ディープインパクトのニュースがあふれる中、凱旋門賞2着のエルコンドルパサーはとても黙ってはいられなかったのかもしれない。

 武豊騎手のアドマイヤメインが、神戸新聞杯とは一転し春の青葉賞でみせたのと同様のペースを落とさない逃げに出るのは考えられた通りで、前半一気に離してしまった。長距離戦では一旦大きく離れてしまうと後続はペースが読めなくなる。差を詰めるタイミングも難しくなり、動いてはいけないところで脚を使わざるを得ない馬が出てくる。

 1000m通過58.7秒。1200m通過は70.4秒。2番手以下はおよそ15馬身近くも離れてしまった。当然、菊花賞でみられるパターン通りそこから武豊騎手はペースダウンし息を入れにかかる。そこからもっともペースの落ちた1000mはなんと64.8秒だった。ところが2番手はマンノレーシング(13着)とトーセンシャナオー(16着)だから、差を詰める素振りもない。メイショウサムソンはその2頭とペースを合わせている。15馬身も離されてしまったのが第一の失敗、第二は13秒前後のラップを5ハロンも続けているアドマイヤメインとの差を少しも詰めていかなかったこと。

 息を入れるだけ入れたアドマイヤメインは3コーナー過ぎから再びペースを上げ始めるが、このときメイショウサムソンの石橋騎手は後ろを見ていた。アドマイヤメインはかわせる、あの馬とは勝負付けは済んでいると考えたのだろう。怖いのはマークしてくるはずのドリームパスポート(横山典)の方だった。たしかにその通りで結果は同馬に差されてしまうのだが、メイショウサムソンは底力の競馬にしたかった。アドマイヤメインの武豊騎手の作るペースを信じて、自身、3分03秒0の従来のレコードを更新する時計で乗り切ったアドマイヤメインを徹底マークしたかった。

 メイショウサムソンの敗因はもうひとつ。万全の仕上げに成功したのは確かだったが、当日の同馬、馬体重うんぬんではなくやけにぼったりして、3000mの菊花賞に3冠のかかる馬にしては研ぎ澄まされた印象に欠けていた。

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1948年、長野県出身、早稲田大卒。1973年に日刊競馬に入社。UHFテレビ競馬中継解説者時代から、長年に渡って独自のスタンスと多様な角度からレースを推理し、競馬を語り続ける。netkeiba.com、競馬総合チャンネルでは、土曜メインレース展望(金曜18時)、日曜メインレース展望(土曜18時)、重賞レース回顧(月曜18時)の執筆を担当。

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