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京成杯

  • 2007年01月15日(月) 12時50分
 12月のホープフルSを2000m2分01秒3の好時計でニュービギニングの2着していたサンツェッペリンが、今度は自分でレースを作る積極策で2分01秒6。鮮やかな逃げ切りで快勝し、豊かなスピード能力をみせた。

 そう切れるタイプではないから「ロングスパートをかけるなど、ほかの馬にも途中で脚を使わせたい。流れが落ち着くようなら自分から動きたい」としていたが、好スタートから他の馬が行かないと見ると、最初から自分でレースを作っての逃げ圧勝だから見事。

 前半は13秒台のラップも含め1000m通過62.3秒のスローに持ち込むと、向正面の中ほどから、12.1−12.2−11.4秒と少しずつピッチを上げ、他馬を引きつける逃げ作戦ではなく、上がりの速い競馬にしなかった。デキの良さも光っていたが、自分でレースを作ってのこの時計は価値がある。必ずしも評価の高くないテンビー(その父カーリアン)の産駒で、母方にも近いところには活躍馬がなく、母の父はオジジアン。取引価格は100万円だったともいわれる。イメージは、少しコスモバルクに似ていなくもない。

 松岡騎手はもう重賞4勝目になるが、自分でレースを作っての痛快なこの勝ち星は、春のクラシックに直結する大きな1勝だった。

 2着メイショウレガーロはちょっとカリカリしていたため、あえて馬群の中で我慢する形になったが、追ってからはしっかり伸びた。今回が初の2000m、コースも初めて。合格だろう。前走はデットーリ騎手の腕だけではなかった。以下はコース取りと仕掛けのタイミングが着順を分けた気がするが、期待したダイレクトキャッチは4角手前でちょっと待つ形になったのが痛かった。器用なタイプではなく外を回ってロングスパートをかけたかった。ピサノデイラニは1度の見せ場もなく、4角を回ってもう無理もできずにあきらめざるをえなかった。決してダート専用馬とも思えないストライドだが、新馬戦に続き2度目の芝での大敗となっては、春は苦しくなった。

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1948年、長野県出身、早稲田大卒。1973年に日刊競馬に入社。UHFテレビ競馬中継解説者時代から、長年に渡って独自のスタンスと多様な角度からレースを推理し、競馬を語り続ける。netkeiba.com、競馬総合チャンネルでは、土曜メインレース展望(金曜18時)、日曜メインレース展望(土曜18時)、重賞レース回顧(月曜18時)の執筆を担当。

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