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平安S

  • 2007年01月20日(土) 12時51分
 京都のダートは阪神や中山より全体に時計が速い(冬場でも)というだけでなく、最後の直線も300mとちょっと。先行のスピード型の方がはるかにレースを運びやすい。と同時に、上がりのレースになると大接戦になる。

 前走のファイナルSではずっとインでもまれる形になり、最後まで外に出すチャンスのなかったフィールドルージュは4着どまり。まだ十分に脚はあったが、G寸前も一番苦しいところに入った形で、0.1秒差だった。

 ルメール騎手は小回りのダートはあまり得意ではないとされるが、もまれて脚を余したあとの2度目の騎乗。今度はグレード・レース。フィールドルージュはズブいわけでもないので前回よりは早めに動いてくれそうだ。

 父クロコルージュは、あまりの不振のためわずか5年の供用でアイルランドにもどってしまったが、レインボウクエストを経たブラッシンググルーム系はたしかに日本向きのスピードは乏しい。シャープな切れを伝える馬もごく限られる。だが、サクラローレルもそうだが、ダートの中距離は走る。残していった参駒の中から、フィールドルージュと同じような「ダート巧者」はまだ出てくるだろう。

 フィールドルージュが、種牡馬クロコルージュの送ったごく数の限られる代表産駒としたら、牝系もまた特徴的。フィールドルージュの場合、もうその3代母がメジロラモーヌ(05年死亡)になる。メジロラモーヌの場合、妹を中心に一族からは活躍馬がいっぱい出現しているが、たしかにメジロラモーヌの直仔はほとんど期待したほど走らなかった。だが、名牝系であることだけは疑いもなく、孫の代、あるいはフィールドルージュのように、ひ孫の代になって活躍馬が出現すれば、メジロラモーヌの成功、ファミリーの発展になるのである。もし、フィールドルージュがもっと出世し、ダートのビッグレースのエース格になるようだと、「メジロラモーヌの仔はあまり走らない」などといわれた不名誉も、いつか消えてくれることになる。

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1948年、長野県出身、早稲田大卒。1973年に日刊競馬に入社。UHFテレビ競馬中継解説者時代から、長年に渡って独自のスタンスと多様な角度からレースを推理し、競馬を語り続ける。netkeiba.com、競馬総合チャンネルでは、土曜メインレース展望(金曜18時)、日曜メインレース展望(土曜18時)、重賞レース回顧(月曜18時)の執筆を担当。

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