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日本ダービー

  • 2007年05月28日(月) 13時24分
 牝馬ウオッカの歴史的な「大楽勝」が記録された。歴史的というのは、遠く1943年クリフジ以来の牝馬の日本ダービー馬が出現したという意味ではない。馬場状態はとりあえず別のこととして、3歳牝馬がこの時期に東京の2400mを「2分24秒台」で乗り切ったのは史上初めて。オークスレコードが先週のローブデコルテの2分25秒3だから、ウオッカの2分24秒5は牝馬として破格の記録になる。

 走破時計はレース全体の流れや、芝状態に左右されるのは当然だが、スローにも近いペースで展開された今年、最後の3ハロンは[11.4−11.4−11.6秒]。レース上がり「34.4秒」はダービー史上、NO・1の高速記録だった。2番目がディープインパクト圧勝の一昨年の34.5秒になる。

 驚くのは、ウオッカはこれを中団の後方から馬群を割って真一文字に抜け出し、自身の上がり3Fは「33.0秒」。ディープインパクトの持つダービー勝ち馬の最高上がり3F記録「33.4秒」を更新してしまったことだ。2分23秒3で5馬身差の楽勝だったディープインパクトの記録とは、レース全体の中身が異なるといえばそれはその通りだが、桜花賞のやや物足りない負け方からして、ウオッカにこれほどの爆発力や総合力が秘められているとは、正直、とても想像できなかった。

 ディープインパクトのダービー快勝が、馬場の大外をただ1頭だけ一直線に伸びての独走だったことはまだ記憶に新しいが、ぜひ、グリーンチャンネルの火曜日のザ・パトロールビデオを見ることを勧めたい。ウオッカは馬群の、ど真ん中をただ1頭だけゴールまで一直線に伸びている。まるでディープのようだったのである。右に左に激しくよれたりささったりは、その他大勢と化した男馬たちの方だった。

 ウオッカの勝因の一つは、前半は全く無理することなくインでロスなく自分のリズムを守り、3角過ぎから馬込みをすり抜けるようにやっぱりインから進出。結果として、自身は2400mをマイル戦のようなリズムの競馬に置き換えてしまったことだろう。四位騎手のもっとも得意とする戦法が、見事にはまったともいえるが、それにしても素晴らしい牝馬が出現したものだ。タニノギムレットより強かった印象さえある。

 注目のフサイチホウオーは、パドックの後半からイライラし始め、スタート直前の集合合図がかかったころには、目つきが尋常ではなくなっていた。位置取りとか、掛かったとかの問題ではなく、究極の仕上げが精神のコントロール可能な一線を超えてしまった。そんな印象もあった。ダービーを勝つためには、求められるものはあまりに高く、ときに失うも大きい、とまで言われるのはこのことなのだろう。立て直して、もっとたくましくスケールあふれる秋のフサイチホウオーに変わりたい。

 ヴィクトリーは、少し挟まれる形で痛恨の出負け。もともとまだ若さの残る難しい馬だけに、出遅れた時点で完敗。途中でスパートしても不思議ない楽なペースだったが、向こう正面で、この馬にしては不本意なことに変に折り合ってしまった。逆転を期待したナムラマースは、皐月賞は全く競馬をしていない。12月のNIKKEI杯の内容から、フサイチホウオー、ヴィクトリーとほとんど互角の能力があるというのがよりどころだったのだが、ちょっと弱気に控え過ぎた。しかし、恐ろしいことにフサイチホウオーと、ヴィクトリーと「7、8、9着」を分け合っているのだから、ほんとにその通りになっての完敗だったことを受け入れざるをえない。ウオッカとは、次元が違っていた。

 ペースを作ったアサクサキングスは、いかにもホワイトマズル産駒らしい平均ペース型で、冴えている福永騎手らしく前半1200m1分12秒6の、近年のダービーではもっとも無理のない楽な平均的な流れを作り、2番手のサンツェペリンとともに粘りこむことに成功したが、牝馬のウオッカがあまりに強すぎた。

 レース全体はもっと厳しい流れの、総合力、底力の激突になるのかと思えたが、ウオッカの抜けた能力だけが浮き彫りになり、期待の牡馬陣はそろって、それぞれの持つモロすぎる死角が前面にでてしまった。

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1948年、長野県出身、早稲田大卒。1973年に日刊競馬に入社。UHFテレビ競馬中継解説者時代から、長年に渡って独自のスタンスと多様な角度からレースを推理し、競馬を語り続ける。netkeiba.com、競馬総合チャンネルでは、土曜メインレース展望(金曜18時)、日曜メインレース展望(土曜18時)、重賞レース回顧(月曜18時)の執筆を担当。

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