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シンザン記念〜京都競馬場

  • 2008年01月15日(火) 23時49分
 新年が明けて成人式が近づくと、京都競馬場では「シンザン記念」の時期を迎える。そして、ここ浦河で毎年夏に行なわれるシンザンフェスティバルにて選出されたミスシンザンの2人を、このレースの表彰式に派遣することも恒例になっている。

ミスシンザン1

 今年は、水野ルリナさん、石田珠季さんがその大役を務めることになった。水野さんは札幌出身で現在浦河町内の病院に勤務する看護師。石田さんは地元浦河出身で社会福祉法人の施設に勤務する。

ミスシンザン2

 ミスシンザンの京都での“仕事”は、前述のように、レース後の表彰式に参列し、花束や記念品の贈呈を行なうプレゼンターと、競馬場内の放送ブースに赴いてのテレビ出演、そしてレースの冠名にもなっている日刊スポーツ社の取材を受けることなど、盛りだくさんだ。日高の馬産地を、そしてシンザンの生まれ故郷でもある浦河町をPRする観光大使として、平成2年よりミスシンザンを競馬場に派遣することが始まった。因みに、この2人の出張旅費はJRA京都競馬場から出ている。

 12日(土)朝8時。千歳空港の気温はマイナス12度。晴れた朝は放射冷却現象によりこの時期の北海道はひどく冷え込む。私たち実行委員を含め総勢7人は一路関西国際空港を目指し、8時45分に千歳を飛び立った。

 午前11時、関空到着。北海道とはうって変わり、こちらは雨が降っていた。気温は推定10度前後。気温差20度もの落差のせいで、体調を崩す人が続出するほどだった。

 本番を翌日に控え、この日は競馬場に到着すると、ほとんど挨拶回りに費やされた。唯一、日刊スポーツ社の取材が事前に行なわれ、翌朝の紙面を見ると、競馬欄にミス2人の写真が掲載され関連記事が出ていたのを見た方(西日本に限定されるが)もおられるだろう。

 前日の夜は競馬場側のお招きにより祇園の料亭で会食があるのも恒例である。今回は「きんなべ」(四条大和大路下ル)という鶏の水炊きのお店に案内された。金網の中に何と紙製の“鍋”が敷いてあり、そこに鶏がらの出汁と鶏肉や野菜、豆腐などが入る。正真正銘の「和紙」でできた鍋なのだ。いったいどうなっているのか? と最後まで不思議でならなかった。(紙は灰汁や余分な脂を吸い取ってくれる効果があるのだという。これは余談だが、信じられないお方はぜひご自身の目で確認していただくことをお勧めする)

 さて、明けて13日(日)。天候は回復したが、寒気が入った日本列島は気温が上がらず、京都もピリッとした空気の朝を迎えた。聞けば最低気温がマイナス5度とか。日中も5〜6度くらいにしかならないとの予報にやや驚かされた。

 競馬場到着は午前10時前。さっそくミスシンザンたちはテレビ局のブースで出演の打ち合わせである。その後また挨拶回りなどして、表彰式の打ち合わせやテレビ出演など、分刻みのスケジュールになる。あっという間に時は過ぎ、シンザン記念の時間となった。

京都競馬場大型ビジョン

 午後3時45分。東京競馬場とほぼ同じ大きさという横長の大型ビジョンにスターターが立ち、旗が振られた。この季節の京都競馬場は、ゴール前から4コーナー方向が逆光になり、写真撮影が難しい。どの馬が来るか、予めよく展開を見ていなければ、結局、撮り逃してしまうこともしばしばである。それで、旧知の間柄である京都在住の藤岡祥弘(カメラマン)にレース写真を頼んだ。

優勝馬ドリームシグナル

 今年勝ったのは、岩田騎手のドリームシグナル。アグネスデジタルの初年度産駒で、生産は新冠のコスモビューファーム。馬主はセゾンレースホース(株)。栗東・西園厩舎。岩田騎手は昨年のアドマイヤオーラに続いて二連覇となった。

シンザン記念表彰式

 出走馬が引き上げてきて、優勝馬がウイナーズサークルに姿を現すとまず記念の口取り撮影である。ミスシンザンの出番はその後の表彰式だ。花束を手に、やや緊張の面持ちながら無事大役を果たし、務めは終わった。ミスの一人、水野ルリナさんは表彰式後に「とても不安でしたが、終わってみると、何だか逆に寂しい気がしてきました。来年ももしこの役を務められるのならもっと上手くできるかも…って妙に自信がついたというか度胸が据わった、というか。でも一回だけなんですよね」といかにも残念そうな口調で語っていた。歴代のミスシンザンたちがみんなこういう心境で本番を終えたのだろうと思う。

 さて、14日(月)に北海道へ帰って来ると、日高では「ディープインパクト騒動」とも言うべき取材合戦が繰り広げられていたことを耳にした。新ひだか町(旧・三石町)の鳥井牧場で9日夜に誕生したディープ産駒第一号(母ロングディライトの牝馬)を各社が追い駆けるフィーバー(もう死語になっているが他に適当な熟語が思い出せない)で、何やらかつてのオグリキャップの時を彷彿とさせるような雰囲気である。

 ただし、当時と今とでは、競馬を取り巻く環境がかなり大きく異なっており、これが競馬人気復活に繋がれば良いのだが…。

 東京方面から取材陣を大量に送り込んでいる某スポーツ新聞社があるかと思えば、ディープ産駒を全頭取材予定の社もあるという。慣れない冬道と極寒の気候の今の季節。さぞ大変な思いをしていることだろうが、実は生産者の鳥井牧場がもっとも大変なのである。この騒動が果たしていつまで続くものか。何せ今月だけでも20頭は生まれる予定とも聞く。全部で200頭近いはずで、注目度はまさしく「別格」である。ともあれ、第一号が三石の牧場だったとは…。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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