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イーストスタッド種牡馬展示会

  • 2008年02月26日(火) 23時49分
 先週から今週にかけて日高は種牡馬展示会のピークを迎えている。25日の月曜日には、浦河のイーストスタッドで新種牡馬5頭を含む12頭が披露され、関係者約300人が詰め掛けた。

イースト展示会

 新種牡馬5頭とは、スタチューオブリバティ(父Storm Cat)、メイショウボーラー(父タイキシャトル)、オレハマッテルゼ(父サンデーサイレンス)、ストームファング(父Storm Cat)、グランデグロリア(父サンデーサイレンス)というラインナップだ。この種馬場が単年度に5頭もの新種牡馬を導入することになったのは近年にないことで、そのせいか、今年の展示会はかなりの賑わいとなった。

メイショウボーラー

 もともと、イーストスタッドは、それまで浦河地区にあった東部種馬センター、西幌別種馬センター、谷川牧場の3つが合併して1991年秋にできた施設である。浦河を中心に生産者など150余人が出資し、西幌別地区のヤシマ牧場跡地を買収して作り上げた。

オレハマッテルゼ

 その昔、ヤシマ牧場は、日本有数の名門牧場として知られた存在だった。ボストニアン、ハクリョウ、ハクチカラといったクラシック馬を続々と輩出し、昭和20年代後半から30年代にかけて、日本の競馬史に数々の素晴らしい戦績を残している。ハクチカラは当時珍しかったアメリカ遠征を果たし、保田隆芳騎手(当時)とのコンビで何戦か戦った後、現地の騎手とのコンビで重賞勝ちを収める。それ以後、46年間にわたり、日本から遠征した馬が海外で重賞勝ちを果たすことができなかった。

 また保田隆芳騎手は、その時のアメリカ遠征にて「モンキー乗り」を体得し、帰国後に日本の競馬に革命的な変化をもたらした話はあまりにも有名だ。

 イーストスタッドは、そんな名門中の名門牧場として生産界に君臨していたヤシマ牧場時代のたたずまいを色濃く残す。例えば、場内のここかしこに生い茂る大木などに長い歴史を刻んできた痕跡が見て取れる。

 敷地もかなり広く、贅沢な作りである。公式HPによれば、25町歩とあり、種馬場としてはおそらく日本でも最大級の面積であろう。空間的な広がりがあり、馬にとっては絶好のロケーションを持つ種馬場である。

 ただ、近年とりわけ生産地では種牡馬分布図が「西高東低」とでも言うべき傾向になってきており、新ひだか町静内を過ぎると、種馬場は一気に少なくなる。三石の「スタリオン中村畜産」より東側は、浦河の「日高スタリオン」とここイーストスタッドくらいのものである。

 「地産地消」という言葉があるが、サラブレッド生産も、生産者の本音としては「遠い種馬場に通うのは苦労が多くて負担だ」との思いがある。

 できることなら近いところで交配を済ませたいのが人情で、誰も好き好んで社台スタリオンくんだりまで行きたいとはおそらく考えていない。

 だが、現実問題として、「売れる生産馬を作る」ことを目指せば、リーディングサイアーランキングの序列は無視できず、やはりどんな無理をしてでも「社台詣で」は避けられなくなるのだ。

 そんな時代だが、今年、イーストスタッドは敢えて新種牡馬を5頭も導入し、巻き返しを図る積極作戦に打って出た。地元浦河のためにもぜひ多くの繁殖牝馬が集まることを願ってやまないが、一つ気になるのは、このインターネット全盛時代に、オフィシャルサイトが2003年から一向に更新されずに放置されたままなのはいったいどうしてなのか? ということ。

 本稿を書くために久々に開いて見たが、まるで参考にならないどころか、結果的には5年という時間的経過により「嘘八百」の内容になってしまっている。さっさと「閉鎖」するなり、さもなくば、新しいサイトに移転するなりの措置を講じなければ、いたずらに混乱を招くだけであろう。情報発信どころかかえって「邪魔」になるだけではないのか。

 牧場のHPの中にはこの手の「休眠状態」にあるものをたまに見かけるが、せっかく素晴らしい内容のHPを開設してもメンテナンスをしなければすぐに錆びついてしまう。まして、イーストスタッドは個人の牧場ではなく「農事組合法人」である。早急に処置することをお勧めしたい。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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