モズカッチャンの連覇なるかに注目が集まる、今年の
エリザベス女王杯。達成されると、鞍上の
M.デムーロ騎手は同一GI3連覇となる。これまで
エリザベス女王杯を連覇した3頭のなかにも、騎乗馬の連覇によって同一GI4連覇の偉業を成し遂げた騎手がいた。「女王連覇物語」、今回は2003年・2004年の
アドマイヤグルーヴをお届けする。
■3強対決を制して連覇達成
アドマイヤグルーヴは、名牝
エアグルーヴの初仔としてデビュー前から注目された。クラシック3冠もすべて1番人気に支持された。しかし、3冠牝馬の称号を手にしたのは
アドマイヤグルーヴではなく
スティルインラブだった。
2頭が
秋華賞の次走に相対したのが、2003年の
エリザベス女王杯である。このときは、3冠馬の
スティルインラブが1番人気、
アドマイヤグルーヴが2番人気で2強の様相を呈していた。
レースはその2頭による一騎打ちとなった。道中中団から直線で先頭に立とうとする
スティルインラブに、それをマークするように追走した
アドマイヤグルーヴが外から強襲する。
アドマイヤグルーヴは一気に差し切る勢いだったが、
スティルインラブも意地を見せて差し返す。2頭のデッドヒートはゴールまで続き、ハナ差で
アドマイヤグルーヴに軍配が上がった。牝馬3冠で苦杯をなめた
スティルインラブに雪辱を果たしただけでなく、
アドマイヤグルーヴにとって悲願のGIタイトルをようやく手にした瞬間だった。またこれは、母仔3代GI制覇となった。
武豊騎手は、
トゥザヴィクトリー(2001年)、
ファインモーション(2002年)に続く
エリザベス女王杯の勝利で、同一GI3連覇を果たした。レース後には「皆さんに期待されてGIを勝てる力があるのに、なかなか勝たせてあげられなかったので本当に嬉しい」とコメント。
武豊騎手にとっても、この勝利は悲願のGIタイトルであり、格別なものだったのではないだろうか。
翌2004年、4歳となった
アドマイヤグルーヴは古馬や牡馬に挑むも勝つことはできず、牝馬限定の
マーメイドSが唯一の勝利だった。ただ、
マーメイドSは3馬身差の快勝で1.5倍の断然人気に応えており、牝馬同士ではトップクラスの強さを誇っていた。
そうして迎えた
エリザベス女王杯。天皇賞から中1週で臨んだ
アドマイヤグルーヴは2番人気、1番人気はこの年の
秋華賞を制した
スイープトウショウだった(最終オッズはともに3.3倍)。さらに3番人気が同期の
スティルインラブ、このときは3強の構図だった。
レースは1番人気
スイープトウショウの出遅れでスタート。この年も
アドマイヤグルーヴは中団の外、
スティルインラブを見るようにして直後を進む。前年と違ったのは直線を向いてからだった。外から伸びあぐねた
スティルインラブに対し、
アドマイヤグルーヴは馬場の真ん中から鋭い脚で伸び、3/4馬身差をつけ先頭でゴールした。
「昨年はどうしてもこの馬に1冠を取らせたいという気持ちが強かったが、今年は少し嬉しさも違う」とは、レース後の
武豊騎手。前年よりも強さが際立つコメントだった。
武豊騎手は
アドマイヤグルーヴを史上2頭目となる
エリザベス女王杯連覇に導くとともに、自身の記録を伸ばし同一GI・4連覇とした。
アドマイヤグルーヴは2012年10月に12歳で急死、繁殖としては5頭の産駒しか遺せなかった。それでも最後の仔である
ドゥラメンテが、母の届かなかったクラシック(
皐月賞・ダービー)を制し、史上初の母仔4代GI勝利を達成した。
アドマイヤグルーヴは、母になっても、亡くなった後でも注目の存在であり続けている。