秋のダート王者決定戦・
チャンピオンズカップは、2000年に創設された
ジャパンカップダートから、様々な条件で開催されてきた。今週はそんな「
チャンピオンズカップヒ
ストリー」に迫る。初回は2001年の
クロフネをお送りする。
■ダート2戦目で7馬身差の世界レコード
クロフネのダート参戦のきっかけは、外国産馬の出走制限というルールだった。
2歳秋に芝1600mでデビューした
クロフネは、翌春、
毎日杯と
NHKマイルCを連勝したが、ダービーは5着に敗れた。GI2戦で手綱を取った
武豊騎手は、このとき桁外れのスピードと強さを感じ取っていたという。
秋は距離を考慮して、
神戸新聞杯(当時は2000m)から
天皇賞・秋を目指すことに。ところが、外国産馬である
クロフネに制度の壁が立ちはだかった。当時は天皇賞への外国産馬の出走枠が2頭までしか認められておらず、収得賞金順で
クロフネの出走は叶わなかったのである。
そこで向かったのが
天皇賞・秋の前日に行われた、東京ダート1600mの
武蔵野Sだった。
ここでもコンビを組んだ
武豊騎手は、レース前に「初めてのダートだが、
クロフネの力なら圧勝するかもしれない」と考えていたそうだが、その通り
クロフネは衝撃の走りを披露する。ハイペースのなか向正面から位置を上げ、直線を向くと先頭に立ち、そこから後続を引き離すと2着の
イーグルカフェに9馬身差をつけたのである。勝ち時計の1分33秒3はダート1600mの日本レコードで、この記録はいまだに破られていない。
次走は中3週で、第2回
ジャパンカップダート(東京ダート2100m)が選ばれた。この年、外国からはアメリカの強豪リドパレスが出走していたが、
クロフネは単勝1.7倍の圧倒的1番人気に支持され、2番人気がリドパレス、3番人気が前年の第1回優勝馬
ウイングアローだった。
レースは、アメリカ勢が先手を取る。リドパレスは好位の外、
クロフネはリドパレスを見ながらレースを進めた。このときも
クロフネは向正面で動き出し、場内は大きなどよめきに包まれる。そして3コーナーでは前にいたリドパレスを楽に交わし、4コーナーを回りながら先頭に立つ。あとは
クロフネの独壇場。あまりの強さに、ファンはいつもの直線のような絶叫ではなく、感嘆の声と拍手で
クロフネをゴールに迎え入れた。2着
ウイングアローとの着差は7馬身、勝ち時計の2分05秒9はダート2100mの世界レコードだった。
レース後の
武豊騎手は「常識的には速いスパートかと思ったが、前走の内容が良かったので自信を持ってスパートした。こんなに強い馬は今までいなかった」と語っている。たしかに、直線での
武豊騎手は、後ろを気にする余裕もあったほどだった。
次は世界の頂点へ、そんな期待が高まったのだが、年末に右前脚に浅屈腱炎を発症。結局、
ジャパンカップダートが最後のレースとなってしまう。
クロフネの馬名は、2001年に
日本ダービーが外国産馬に開放されることにちなみ、幕末に来航した
ペリー率いる「黒船」に由来したもの。ダービーではなかったが、わずか2戦のダートで見せた圧倒的なパフォーマンスは、馬名通りのインパクトを残したといえるだろう。