ジャパンカップダートから
チャンピオンズカップへと名称が変更され、舞台が中京競馬場へ移ったのは2014年のこと。その年の優勝馬は、3年目の挑戦でタイトルを手にした。「
チャンピオンズCヒ
ストリー」の最終回は、
ホッコータルマエをお送りする。
■3年連続出走で悲願の
JRA・GI初勝利
最初の
ジャパンカップダートは2012年の第13回、3歳のときだった。この年は9番人気の低評価。しかしレースでは、2番手につけると徐々に差を詰め、直線に入り先頭へ躍り出る。最後は力尽きたが3着を確保し、今後への期待が膨らんだ。
その後の
ホッコータルマエは期待通りに力をつけていった。翌2013年は
佐賀記念から
帝王賞まで重賞を5連勝。
南部杯こそ2着に敗れるも、
JBCクラシック(金沢2100m)では前年の
JBCクラシック覇者で、
ジャパンカップダートでは半馬身先着を許した
ワンダーアキュートの追撃を退け、レコードタイムで逃げ切り勝ちをおさめるのである。
好調のなか、第14回
ジャパンカップダートへ。単勝オッズは1.9倍と人気は他馬を圧倒した。前年同様、
エスポワールシチーがハナを切る。
ホッコータルマエは2番手を進み、手ごたえ十分で直線を向くと残り300mで先頭に立つ。ところが、ゴール手前で
ベルシャザールと
ワンダーアキュートに交わされ、3着でレースを終えた。
この
ジャパンカップダートは差し有利で、展開が向かずの敗戦でもあった。その証拠に、年末の
東京大賞典と年明けの
川崎記念は連勝し、
フェブラリーSは2着している。その後、初の海外遠征だった
ドバイワールドカップ(16着)は、レース後に体調を崩して現地で入院するアク
シデントもあった。そのため、初めて7か月という長期休養を挟む。復帰戦の
JBCクラシック(盛岡2000m)は4着。ただ、叩いた効果と万全の仕上げで、陣営は舞台が中京(ダート1800m)に替わった第15回
チャンピオンズカップへ、
ホッコータルマエを送り出した。
出走16頭すべてが重賞ウィナー、さらに10頭がGIとJpnI 勝ちという豪華メンバーで2番人気に支持された
ホッコータルマエ。ラ
イバルは、その年の
フェブラリーSと
JBCクラシックを制した
コパノリッキーのはずだった。
ところが、
コパノリッキーは出負けして後方から、
ホッコータルマエは三たび2番手を追走する。スローペースのなか勝負どころで先頭に並びかけると、直線では
ローマンレジェンドと抜け出し、2頭の叩き合いに。そこから
幸英明騎手の渾身のムチに応え力強く伸びると、ゴール手前で迫る
ナムラビクターも振り切り、先頭でゴールした。
5戦目からコンビを組んできた幸騎手は、関係者と喜びを分かち合いながらウルっときたというが、インタビューでは「ゲート次第と思っていたが、いい位置を取れた。直線は必死の思いで追った。中央のGIを勝つことができてホッとしています」と笑顔を見せた。こうして、
ジャパンカップダートは2年連続3着、
フェブラリーSも2着という
JRA・GIでの惜敗続きに終止符を打った。
チャンピオンズCは翌年も出走し5着。この
チャンピオンズC4年連続出走のほか、2013年
かしわ記念からラストランの2016年
JBCクラシックまで23戦連続GI出走、
ドバイワールドカップ3年連続出走など、タフに走り続けた
ホッコータルマエ。また、国内で掲示板を外したのは新馬戦と500万特別の2回だけという、大崩れのない精神力の強さも凄みのひとつだった。